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2020年2月28日 (金)

2月16日の場合

朝の7時半過ぎに目を覚まし、リビングへ向かう。

着替えを済ませ、洗った食器の水が切れているか確認して棚に戻す。

その間妻は洗濯機を回し、着替えを済ます。

僕はトイレを済まし準備ができたところで、妻の運転で喫茶店にモーニングを食べに出かける。

たまの日曜の朝は喫茶店で食事をとることがある。

外はゆるい雨が降っていた。

フロントガラスには砂埃のようなものが溜まっているが、これは多分昨日の黄砂のせいだと言う。

黄砂なのか花粉のせいなのかわからないけどアレルギー反応で鼻水が出てくるとのこと。

喫茶店では二人ともいつものホットサンドのモーニングセットを注文する。

食事が運ばれてくる間、家から持ってきた本を読む。

しばらくしてホットサンドのトレーを両手に持ち、マスターがやってくる。

物音をたてずスムーズな動きで静かに料理がテーブルに運ばれる。

昔、知り合いの料理人が料理は置き方で味が変わってしまうと言っていたのを思い出す。

パンの食感を味わいながら美味しくいただく。

隣の席の初老夫婦の男性の喉に痰が絡んだのか、時折出す「カーーッ」という不快音が胸を刺す。

食事を済ませ、会計に向かう。

新人のアルバイト店員の若い女性がレジを打つ。

「あれ、こんなに払わないけんかったっけ?」

表示された料金を見て戸惑った。

三人分の料金が表示されていた。

どうやら操作を誤ったようで、すぐに彼女はすいません、少々お待ちくださいと言ってマスターを呼びに言った。

すぐにマスターがやってきて適切な料金を払い店を出る。

その一連の流れの中で、彼女の対応や振る舞いが感じよくて好きだったと妻が言う。

俺もそう思った、と伝える。

ただ、隣のおじさんの「カーーッ」ってあの音がすっごい気持ち悪かったと言う。

俺もそう思った、と伝える。

 

 

家に帰り上着を脱ぎ、催したのでトイレに駆け込む。

便座に腰をかけた瞬間、自分でも驚くほど大きい屁が「ブッ!」と出た。

その時タイミングよく妻が扉の前を通りかかって、驚いたのか「ブハッ!」と大きな声をあげた。

「ブッ!」

「ブハッ!」

の一連の流れが、タイミングといいなんともいえずマヌケで笑けてきたので小刻みに笑いながら大を便していた。

リビングに戻ると妻は洗濯物を干していた。

今日は天気が悪いので部屋干しだ。

僕は二年前から論語の現代語訳の書き写しを毎日少しづつしているので、ペンを取りノートに今日の分を書き写す。

洗濯物が終わった妻は作り置き等の料理を始める。

「なにニヤニヤ笑っとるだ?」

突然話しかけられる。

どうやら知らないうちに僕は思い出し笑いをしていたようだ。

もちろんさっきのことだ。

「ブッ!」って屁をこいた瞬間に「ブハッ!」ってなったのがおもしれかったと伝えると、そんなに面白かった?と呆れ顔の妻。

おもしれかったがな、とおもしろさを伝えるために更に何度も「ブッ!」てなって「ブハッ!」を再現しているうちにガッチガチにハマってしまって、腸をよじらせ一人狂ったように笑い転げてしまった。

「そんなことよりお米炊かんとご飯がないよ」

乾いた声が僕の頭を小突く。

 

 

孔子曰く

「芽を出して成長しても、花を逆さないものがある。

花は咲いたが、実のならないものがある」

 

論語の書き写しが終わり昨日から読んでいる本、高橋順子の『夫・車谷長吉』の続きを読む。

筆禍のことや強迫神経症の頃のことなど、胸を衝く話も多かったけど、長吉がペンキ塗りたてのところに寄りかかって、お気に入りの法被にペンキがベタッとついてしまったところなど、笑える話もあった。

20代後半の頃、京都の五条堀川あたりにあったのブックオフで車谷長吉の『贋世捨人』を買って読んでからしばらく彼の作品ばかり読んでいる時期があった。

そういう流れからか、本を読んでいる最中時折京都で暮らしていた時の古くてボロいワンルームの部屋が頭を過ぎることがあった。

本の内容より、ワンルームが大きくなってきたところで本を一旦やめる。

その間にMacBookにiPhoneをつないでソフトウェアのアップデートをする。

しばらくして画面がフリーズしてしまったので強制終了する。

その後再起動し再びアップデートする。

無事アップデート完了。

これを機に不要なデータやアプリ等を削除したり整理する。

あれこれ古いデータを整理をしながらある友人のことを思い出した。

それは長い付き合いで、不遇な時に話を聞いてくれたり色々と助けてくれた奇特な人だった。

しかし数年前から音信不通になってしまった。

というのもLINEでメッセージを送っても既読にならず、もちろん返事なども来なくなり、知らないうちにブロックされてしまっていたのだ。

だけど元気にやっているそうだ。

そういう噂をこないだ聞いた。

 

 

昼前に妻は仕事に行き、僕は昼は余り物でキャベツ、玉ねぎ、きのことベーコンのペペロンチーノを作って食べる。

京都に住んでいた時によく作っていた料理だ。

とても馴染みのある味だ。

またあのワンルームを思い出してしまった。

そういう日なのかな。

上手く作れた時は本当に美味しいんだけど、今回はイマイチだ。

 

 

食後にポール・ペナを流し、インスタントコーヒーを飲みながらこの文章を書く。

「ブッ!」「ブハッ!」の部分を書きながら、また思い出して一人で笑っている。

なんでこれくらいのことで笑っているんだろうと思いながらも笑っている。

しかし笑っている時は時間のくぼみでつまずいたような感じだ。

日常だとか生活だとかのあれやこれや時間の流れから一瞬離れられる。

それにしても40歳になればこれくらいのことでは笑わない素敵なおじさんになっていると思っていたけど、大きな間違いだったようだ。

やれやれだ。

そういえば最近、ふと気づいたらやれやれだなーと口走っていることが増えてきた。

いつからだったんだろうか。

今年に入ってからだった気もするけど。

月日は百代の過客。

と言ったのは誰だったか。

年々時間の進み方が早くなっている(ように感じている)せいでなのか、どこかで何かに急かされている感じがいつもしている。

と言うか無意識に身体がそれを意識している感じがする。

実際に仕事など、具体的に急かされていることもたくさんある。

今週は割と忙しく体を酷使したため、今日はなるべく休ませようと思う。

特に指先が腱鞘炎気味なのでギターなんかはお休みだ。

本当はあれこれ弾いてやりたいことがあったけど。

 

 

数日前にイメージトレーニング用にと、月本さんからバイシクルライディングの本が送られてきたので(来月の自転車の大会は中止になりました)、これを日々少しづつ読んでいる。

その中で「バイクで痛みや過度の疲労を感じてしまうカラダの箇所があったら、そこには自分自身がバイクにかけた力(作用)が不適切であったために、反発が返ってきている(反作用)と理解してください」と書いてあった。

自転車だけでなく、日々の生活の力の入れ方も考えないといけないだろう。

疲弊した身体のあちこちからそんな声がする。

やれやれだ。

再び高橋順子の本を読む。

詩はお金にならない。

でも精神的な危機を救うことがある、と言っておきます。

とのこと。

 

 

3時のおやつに冷凍していた餅を二つどんぶり鉢に入れてレンジで温め、砂糖ときな粉をまぶして食べる。

いつでも焦りは禁物だ。

「ブッ!」「ブハッ!」

むせてきな粉を飛び散らせたらおしまいだ。

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