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2019年12月

2019年12月31日 (火)

世界は探し物であふれている

仕事から帰り、キッチンに行くと妻が料理をしていた。

大根もちという、僕は食べたことのない料理を作っている最中だった。

大根おろしとその他調味料等を手で混ぜ合わせる際に、衛生面を考慮してのことだろう、食器棚の台に外した指輪が置いてあった。

ふとその指輪が目に留まり、なんとなく自分がつけている指輪を見ようと左手の薬指に目をやった。

「あれ、指輪がない」

そこにはあるはずの指輪がついていなかった。

「え、なんでないだ」

「え!指輪無くしたの!」

「あれ、なんでだ」

「え!まさか指輪無くしたのー?」

妻も料理よりも僕の指輪がないことの方が気にかかっているようだ。

そりゃそうだろうな。

軽くパニックに陥る。

今日は現場と昼飯を食べに定食屋に行ったくらいだけど、どこかで落としてしまったのか。

いや、落としたんだろうな。

だって指に指輪がないもんな。

その時再び食器棚の台に置いてある指輪が目に入った。

「あ、これ俺のか!」

「違うわ、それ私のだわ!

どーせそのうちなくすと思ってたわ」

「俺のことよくわかっとるがな」

 

 

ギターを弾く際に指輪をはめていると指輪が弦を干渉することがあるので、いつもギターを弾くときは指輪を外すようにしていた。

ということもあり、外しやすいように若干指輪の径を大きめにしていたせいで、抜けやすくなり何かの拍子でスポッと抜けてしまったのかもしれない。

自分なりにシュミレーションしてみると、ハンドソープで手を洗うときと、作業用の手袋を脱ぐときが一番勝手に指輪が抜けやすいということがわかった。

実際風呂場で手を洗いながら勝手に指輪が取れたことがあったので、手の洗った場所が一番疑わしき場所だろうということで、まず現場の仮設水道付近を調べることにした。

 

翌日は昨日の夜からのゆるい雨。

現場に着き僕は愕然とした。

仮設水道の周りの地面は泥で、しかも雨のせいで小さな水溜りになっていた(僕の記憶では単なる砂利の地面のはずだったのに)。

この泥水の中に埋まってたらなかなか見つけられないのは火を見るよりも明らかだ。

それでも一応昨日帰りに手を洗った時と同じように手をこする仕草をして、そのとき指輪が飛んで行ったであろう場所を中心に調べることにした。

泥と雑草が少々入り混じった水溜りに手を突っ込んで、泥をすくい上げその泥の中に指輪が入っていないか確認する作業を数回やったところで全く見つけられる気もしなかったので諦めることにした。

今度は作業用手袋を外しただろう場所を、といってもそれはかなりの頻度で行っていたので、とりあえず現場の建物内部を歩いてチェックしたが、こちらにもなかった。

仕事もしないといけないので、指輪探しは一旦やめにして僕は仕事を始めた。

 

作業をしながら昨日の自分の行動を頭の中で反芻していた。

その時昼間の定食屋の洗面で手を洗った時の場面が光り輝いて蘇ってきた。

あの時ハンドソープを使って洗ったし、あの時に指輪が外れてしまったのかもしれない。

いや、あれしかない。

あれだ!

確信めいた何かが体の中で響いた。

スマホを取り出し昨日行った定食屋を検索して連絡先を調べる。

まだ営業時間前だったが、こらえきれず電話をかける。

店員さんに指輪の件を伝えると、これから掃除をするので見つかったら折り返し連絡をするとのこと。

昼近くになっても連絡がなく現場にいても心ここに在らずなので、その定食屋に昼飯を兼ねて指輪を探しに行くことにした。

料理を注文して手を洗うついでに洗面台の排水口をチェックしてみる。

ハッ!

なんてことだ!

排水口キャッチャーのようなものが付いてなく大きな口が開いているじゃないか。

一応無駄だと思ったけど指を排水口に突っ込んでみる。

「とっても大きい穴が開いてますよ」と指からの報告が脳に伝わる。

「もちろん指輪ごときあっさりと飲み込むくらいの穴ですぜ」とのこと。

なんでここに排水口キャッチャーつけてないだや!

と店の人に文句を言ったところで、お店の人も訳も分からずびっくりするだろう。

これじゃ指輪はもう諦めるしかない。

とりあえずここにずっと突っ立っていても何も解決はしない。

昨日と同じようにハンドソープをつけ僕は手を洗った。

手の汚れと共に、僕の淡い期待は泡にまみれて排水口の奥底に流れていった。

 

 

先日実家に置いたままにしていたストラトを取りに行ってきた。

久しぶりに見たストラトは、なんだかくたびれているように見えた。

弦は錆び錆びだし、というかブリッジやペグ、あらゆる金属部が錆びまくっていた。

それにフレットもかなり削れている。

ボディーについた無数の傷を見ながら思い出すことがあった。

このストラトは高校2年か3年の時に通販で買ったフェンダージャパンのギターだ。

現在に至るまで数々の引越しに耐え、今もこうして僕のそばにいる数少ない持ち物の中の一つだ。

二十数年間ずっと大事にしていたかと言うと、そんなことはなく、ケースにも入れず裸で自転車のカゴに入れたまま遊びに行ったり、部屋の掃除をしている時に誤って何度かバタンと倒してしまったこともあったし、感情任せに乱暴に弾いたり、しばらく存在を忘れてしまったこともあった。

もちろん大事にしてきた部分もあったと思うけど、どちらかと言うと丁寧とはかけ離れた面で付き合ってきた感じだ。

にも関わらず、どこにでもあるような、だけどなんとも言えない響きで慰めてくれたり、このギターのおかげで経験できたことや出会えた人やメロディーが沢山あった。

ボディーの裏面には15年くらい前に書いてもらった杉村ルイさんのサインが、かすれてはいるけど残っている。

あの頃のことは今でもスッと手で触れることができるような距離感で覚えている。

いろんなことがあったなー。

乱雑に扱ってきてすみません。

じゃーこれからもよろしく。

というわけで、フレットの打ち直しや、ペグ、ブリッジ等も交換、電気系統のチェックを含めストラトを修理に出すことにした。

 

 

数週間後に楽器屋にストラトを取りに行く(ちなみに修理費用は買った時の二倍以上だった)。

こんなに素敵なギターだったっけ。

もちろん金属部分が新しくなって輝きが増したのもあるだろうけど、それだけではなさそうだ。

家の小さいアンプに繋いで弾いてみる。

楽しくて夢中になる。

高校の頃、音楽で僕の狭小な世界がブレイクスルーした時と変わらず、やはり楽器を弾いている(または歌っている)時だけの特別な時間は今も変わらず流れていた。

うーん、面白かった。

ギターを弾き終え、夕飯の準備のため洗面所に手を洗いに行った。

 

「あ、指輪だ!」

 

しかしそれは指輪ではなかった。

洗面の水を貯めるゴム栓と、小さい数珠のような鎖とをつなぐリングが指輪に見えただけだった。

指輪に見えたのは、都合のいいように物事を見たいように見てしまう僕の頭の仕業だった。

もしかしたらこれは老化現象の一つなのかもしれない。

今回の洗面のリングが指輪に見えたのが一度なら単なる勘違いだけど、その後二回も同じように「あ、指輪だ!」と思ってしまったからだ。

しかしそれにしても、最近こういうことが多くなってきた気がする。

 

こないだ現場で70代のおじさんが大工道具や部材が乱雑に置いてある台の前で、目の前にチリトリがあるのに、「あれ〜?チリトリがないぞ〜チリトリがないぞ〜」と探していた。

目の前にありますよと教えてあげたにも関わらず、「あ〜?目の前〜?」と見つけられないままだったので、おじさんのそばに寄って直接指をさして「チリトリここですよ」教えてあげた。

きっとおじさんはここにはチリトリがないという頭でそこの台の上を見ていたんだろう。

見たいものが都合悪く見えないという逆の老化パターンもあるようだ。

また別の日そのおじさんは、そんな感じでホウキを探し回っていた。

 

 

さて、結局指輪はどこでなくしたんだろうか。

それがわかる日はもうこないだろう。

仕方がないけどそんなことばかりの世界だ。

指輪が知らないうちにさらりとなくなっていたということもあって、頭をガツンと殴られたようなショックというより、胸焼けのようなムカムカしたショックが長く続いている。

そのうちなくなるだろうけど。

しかしどんな形であれ、僕の場合ショックを受けた時は楽器を手にした方が良さそうだ。

ギターの響きが変わって聞こえる。

久しぶりに曲ができた。

『なくした指輪』という短い良い曲ができた。

きっと僕はこんな曲を探していた。

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