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2019年11月

2019年11月29日 (金)

電話を切るときは元気よく

第一印象は柔和で丁寧な印象だった。

音源の歌声から感じていたイメージと違和感なく結ばれたのが妙に嬉しかった。

 

本番当日の昼間に訪れたレストランでみんなでお茶をしているとき、今夜歌いたい曲があるから一曲追加したいと、ミゲルから提案があった。

 

本番のステージの半ばあたりでその歌は始まった。

ひたむきにアカペラで歌う彼の後ろ姿を、ギターを抱えながら見ていた。

自然と彼の故郷、労働しながら歌っている人たちの姿が浮かび上がった。

もちろん映像として浮かんできたわけじゃないけど、歌の中にその存在が確かにあった。

自分や家族のためだったり、彼の優しさの根底にあるものが響いていた。

歌は決して明確で強烈な印象でも、激しく感情を揺さぶるものでもなかった。

だけど確実に僕の人生にめり込んでいた。

 

 

今回のFADO no Japãoの来日アーティストはミゲル・カモンイスというファディスタだった。

彼の故郷、ポルトガルのアレンテージョ地方。

そこには「カンテ・アレンテジャーノ」という歌の文化があり、今回ミゲルがアカペラで歌った歌はその中の歌だった。

元は農場で働いていた人が農作業をしながら歌っていた曲とのこと。

詳しいことはミゲルのCDの月本さんの解説に書いてある。

「我々は何事に対しても時代に合わせて適応していく必要があると思う」

というのは、この解説の中で月本さんがミゲルにインタビューしていた中の答えの一つ。

これは多分対人関係にも言えることで、きっと彼の普段の気遣いややさしさの裏側でいつも活きている言葉なんだろう、彼の周りで過ごす人がみんなリラックスしているのがそれを証明していた。

 

 

ツアーから帰り、しばらくViola(ギター)は休憩かなーと思ったけど、ふと弾きたくなって今回ミゲルと演奏した曲を思いつくままに弾いてみた。

なんだか軽やかというか、響きがつい先日と違って聴こえた。

肩の荷が下りてそう聴こえたんだろうか。

分からないけど、ポルトガル製のViolaがミゲルの歌を求めてるように思えた。

だけど、多分それは僕の感傷の仕業だろう。

 

今回のコンサートではまたまた色々な人にお世話になった。

お客さん、ミゲル、通訳の阪井さん、長野さん、じゅんこさん、月本さんのお母さん&お父さん、うちの奥さん、関わってくださった皆さん、本当にお世話になりました。

そして毎回のことながら月本さんにも大変お世話になりました(ネクタイの件よろしく。うひひ)。

それに僕のバッチを買ってくれた方もいらっしゃいましたよ(わーい)。

本当にありがとうございました。

 

 

さてコンサートが終わり地元に戻って翌朝のこと。

大山の麓で暮らすおじさんから大根取りにおいで、と電話がかかってきたので次の日曜日におじさんの家に車を走らせ行ってきた。

「あれ、大根は?」

「んあ〜、何言っとーだー、自分で掘るだがなー」

「あ、そうなの」

「当たり前だがな、なにおっつぁんに掘らそうとしとーだー、怠けんな」

というわけでおじさんと僕は家の裏の畑へ向かった。

そこには沢山の大根が列をなしていた。

良さそうな大根を引っこ抜く。

沢山あるし沢山持って帰れと言われたけど、沢山もらっても困るので、必要な分1、2本だけで十分ですと言ったけど、おじさんはそんな僕の言葉を単なる遠慮と思ったのか、そもそも人の話を聞いていなかったのか知らないけど、「はよ抜くだがな」と率先してどんどん大根を抜いていく。

結局大根20本程を車に積んで帰ることになった(プラス柚子10、白菜2、椎茸5、ヒラタケ10、なめこ10、謎きのこ無数、玄米30キロ)。

帰りに兄の家や実家に寄り、おすそ分け。

ほとんどの大根や柚子、謎きのこ等は兄の家の方でさばいてもらった。

それから5日後におじさんから『連絡くださいね。』と、とてもシンプルなメールが届いた。

なんかあったのかと思って電話をかけてみる。

「もしもしなんかあった?」

「明日大根取りにこんか?」

「え!こないだいっぱいもらったばっかりだがん!

明日はちょっとやることがあって無理だし、またこっちから連絡しますけん」

「そーか…

ほんなら連絡まっちょーよ」

なんとなくさみしげなおじさんの声が、電話を切った後僕の視界の端で揺曳していた。

目をこすってもなかなか視界から出ていかないので、週明けに連絡をして再びおじさんのところに大根をもらいに、妻を連れて行くこととなった。

行く日の朝にこれから取りに行くよとおじさんに電話をすると、風邪で寝込んでるし勝手に畑から取って帰っていいよ、とのことだった。

おじさんの家に行くといとこのお兄さんがいたので、畑まで同行してもらって大根と柚子を頂く。

いとこと会うのも久しぶりだったので家に上がらせてもらい、いとこの話を聞きながらお茶をよばれる。

ついでに亡くなったおばあさんの仏壇に線香をあげる。

昔からある木魚をそれとなくポクポクと懐かしむように叩いていると、横から妻がやめない!と注意をしてくる。

「これやるとおばあさんが喜ぶんだわ」

と、本当におばあさんが喜ぶかどうかは知らないけど、妻の言葉を制し僕はなんどもポクポクと木魚を叩いた。

 

おじさんの家からの帰り道、使われなくなった田んぼが荒地になっているところが目についた。

かつて僕がちびっこだった頃、親戚一同みんなで田んぼ仕事をして賑やかだった頃を思い出した。

数年前亡くなったおばあさんはずっと農家暮らしでゴツゴツの手をしていた。

農作業中どんな歌を歌いながら仕事をしていたんだろうか。

ふとそんなことを思った。

ミゲルの「カンテ・アレンテジャーノ」のような歌はあったんだろうか。

いや、そんな素敵な歌はなかっただろう。

というか、そのそも歌なんか歌ってなかったのかもしれない。

だけど何かしら労働を緩和させる心のよりどころになるものはあったんだろう。

それは一体どんなものだったんだろうか。

 

 

夕方おじさんから電話がかかってきた。

「もしもし」

「もしもし、風邪治ったー?」

「うん、だいぶよんなったわー」

「大根頂いて帰りましたよー」

「おん、ええよー」

「ありがたくいただきますけん」

「何本持って帰ったー?」

「えっ」

「大根何本持って帰ったー?」

今回は妻の方面でいる人もいたので9本ほど頂いて帰っていたけど、もらいすぎだったかなー。

と思いながら応えた。

「9本もらって帰った」

「ん〜、9本〜?

すくねーなー!

なんでもっと持って帰らんかっただや」

「いや、こないだも沢山もらったばっかりで余っとるし」

「そーか…

また来いよ」

 

電話を切った後、少しさみしげなおじさんの声が僕の視界の端で揺曳していた。

いつまでこのループは続くんだ。

アレンテージョにはこういうおじさんはいないのか。

ミゲルならこんなときどうするんだ!

 

 

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