« ところで、ギターは買いましたか? | トップページ | 電話を切るときは元気よく »

2019年10月27日 (日)

サウダーデがファドを歌ってるよ

アパートに引っ越してきて約半年。

生活のリズムが安定してきた。

様々な料理の匂いや生活の匂いがリビングにしっかり染み付いたことがそれを証明しているかのようだ。

しかしその匂いは独特だ。

妻が毎晩漢方の強烈な匂いのお茶を煮出しているので、その匂いがベースとなり、煮物炒め物、あらゆる料理の匂いやらなんやらが相まって本当に独特な匂いがリビングに染み付いている。

加えて、洗面の排水口からの臭いも日によっては上がってくるので、こちらも臭い。

寝室に関してはさほど匂いはしないと思っていたけど、妻に言わせると脂っぽい匂いがしてくさいとのこと。

僕が「全然臭くないけど」、というと「本気で言ってる?嘘でしょー!」と驚きとあきれの混じった複雑な表情を浮かべる。

歳をとると自分の加齢臭に鈍感になるらしいが、そのせいなのかもしれない。

臭いといえば夏場の現場の仮設トイレは本当に臭かった。

ものすごく臭い時よくうんこを鼻にくっつけたくらい臭い、と例えられることがあるけど、そんな生易しいレベルの臭さじゃなくて、うんこを鼻の穴にギュッ、ギュッ、ギュッと詰め込まれ、さらにうんこのペーストを肌に塗りたくられるくらいの強烈な臭さだった。

なぜ肌にまでくるくらい強烈かというと、息を止めて用を足していてももちろん臭気は鼻を突くし、何かしらうんこのクチャイ成分が肌の細胞の間隙を縫って体内に入り込もうとするのを感じて悪寒が走るからだ。

そういえば、コバエが無数に飛び回っている激ヤバ仮設トイレもあった。

あれは強烈な光景だった。

下手に息をすると誤まってコバエまで吸い込んでしまうんじゃないか、くらいの数が飛び回っていた。

人によっては臭いより、無数に飛び回るコバエの方に耐えられなくなる人もいるだろうが、僕の場合なぜだか言うほど苦でもなかった。

それに見方によっては神秘的というか、幻想的に見えないこともなかった。

とは言え、ウジ虫の抜け殻はいたるとこに落ちていたし気持ち悪いは気持ち悪かったけど…。

こんな話はやめにしよう。

食欲が失せてしまう。

美味しい話をしよう。

そうしよう。

先日京都で食べたジビエ料理がとても美味しかったという話をしよう。

かつてのバンド仲間の岡ちゃん(オカムラケンゴ)のやっている〜大分のソウルフードでイタリアン〜の食べ物屋のilifuneが4周年ということで、それとなくやんわりお祝いをしたくて、妻と京都に住む由利夫婦を連れ立って飲みに行った。

パスタや大分の漬物を使った創作料理がものすごく美味しく、ジビエの肉も下処理が丁寧にされているのか柔らかくジュウシーで、疲れた体に優しく溶け込んでいくのを感じた。

加えて由利くんや岡ちゃんと音楽の話をしながら飲む酒が、これまた特別だった。

15年近く前になるだろうか。

よく分からないなりに一生懸命僕らはバンドにエネルギーを注ぎ込んでいた事を思い出した。

何か言いそびれたことがあったような気もしたけど、これからまた楽しい音楽に出会えそうなそんな予感を孕んだ夜だった。

 

 

先週は来月のコンサートに向けての音合わせのために、月本さんが日帰りでこちらの方まできてくれた。

米子駅まで迎えに行き、2年前のFADO no Japãoの音合わせの際にも利用させてもらった音楽天国という貸スタジをに向かった。

場所はしっかりと把握していたつもりだったが、途中で道を見失い、月本さんが手元のタブレットで調べてくれた。

「スタジオなんて名前?」

「音楽天国ってところ」

「おんがくてんごく…(タブレットに入力している)」

「天国への道のりは険しいなぁ…」

「せやなー、極楽浄土へ簡単に行けるようならお釈迦さんもあんなに苦労せーへんかったやろなぁ」

言い得て妙。

きっとその通りなんだろうな。

お釈迦さんですら苦労していたのに、僕のような単なるおじさんが天国はどこなのか、ましてや人生とはなんなのかなんてわかるわけがない。

タブレットに従いルートを修正する。

なんかこのやり取り、この感じ、一度経験した気がする。

いや、気のせいなんかじゃない。

もちろんデジャブなんかでもない。

そう2年前も僕らは同じ道を同じように迷い、そして同じように月本さんにタブレットで調べてもらってスタジオにたどり着いたのだった(こんなところで迷っているようじゃ到底極楽浄土にはたどり着けそうにありませんね)。

 

 

スタジオは昼間ということもあり、利用客も少なく落ち着いて音合わせができてよかった(隣がバンド練習とかだと結構低音が響いてくる)。

今回初めての曲だったり、デボラ・ロドリゲスやアンドレー・ヴァスと演奏した定番の曲等を合わせていく。

演奏しながら思い出すことや思い浮かべる情景があった。

もちろんそれらは曲が終わりしばらくすると消えていく。

なぜだかそのことを妙に愛おしく感じてしまった。

月本さんのアドバイスをもらいつつ伴奏を調整する。

 

 

スタジオの後は同級生が働いている回転寿司屋に行き一息つく。

その後バスの時間までドライブしながら、お互いの家族や生活の話をした。

 

 

今年はミゲル・カモンイス(Miguel Camões)という男性ファディスタが来日するとのこと。

ステージに向け僕は音源で彼の歌声を聴いたり、写真を見たりしながらどんな人だろうと想像している。

彼のアルバムに収録されている、『Quebranto』や『Quem vai ao fado』という曲を始め、定番のファドがどんなふうに歌われて、どんなふうに響いてくるのか楽しみだ。

今回のツアーに関しては是非FADO no Japãoのサイトをご覧いただきたい。

今回僕は11月8日大阪日本ポルトガル協会のステージで伴奏させていただきます。

 

 

さて今僕は漢方のお茶を煮出しているキッチンの横でこれを書きながら、こないだスタジオで録音した練習音源の『O que é que eu digo à saudade』を聴いている。

『O que é que eu digo à saudade』はサウダーデをどう言おうというようなニュアンスの言葉とのこと。

曲調はもちろん、その歌詞の意味で思い浮かべる情景やじんわりとくるものがある。

とてもいい曲だ。

それにしても煮出したての漢方の匂いは強烈だ。

この匂いにもいろんな情景が含まれている(とても個人的な)。

違う意味でじんわりとくるものがある。

時間の間隙を縫って僕の記憶に入り込もうとしている。

いつか愛おしく感じる時が来るんだろうか。

 

|

« ところで、ギターは買いましたか? | トップページ | 電話を切るときは元気よく »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。