2020年3月28日 (土)

引っ越ししました

ブログを引っ越ししました。

よろしくお願いします。

ジャンガラン/Jung Grung

→ http://junggrung.livedoor.blog

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2020年2月28日 (金)

2月16日の場合

朝の7時半過ぎに目を覚まし、リビングへ向かう。

着替えを済ませ、洗った食器の水が切れているか確認して棚に戻す。

その間妻は洗濯機を回し、着替えを済ます。

僕はトイレを済まし準備ができたところで、妻の運転で喫茶店にモーニングを食べに出かける。

たまの日曜の朝は喫茶店で食事をとることがある。

外はゆるい雨が降っていた。

フロントガラスには砂埃のようなものが溜まっているが、これは多分昨日の黄砂のせいだと言う。

黄砂なのか花粉のせいなのかわからないけどアレルギー反応で鼻水が出てくるとのこと。

喫茶店では二人ともいつものホットサンドのモーニングセットを注文する。

食事が運ばれてくる間、家から持ってきた本を読む。

しばらくしてホットサンドのトレーを両手に持ち、マスターがやってくる。

物音をたてずスムーズな動きで静かに料理がテーブルに運ばれる。

昔、知り合いの料理人が料理は置き方で味が変わってしまうと言っていたのを思い出す。

パンの食感を味わいながら美味しくいただく。

隣の席の初老夫婦の男性の喉に痰が絡んだのか、時折出す「カーーッ」という不快音が胸を刺す。

食事を済ませ、会計に向かう。

新人のアルバイト店員の若い女性がレジを打つ。

「あれ、こんなに払わないけんかったっけ?」

表示された料金を見て戸惑った。

三人分の料金が表示されていた。

どうやら操作を誤ったようで、すぐに彼女はすいません、少々お待ちくださいと言ってマスターを呼びに言った。

すぐにマスターがやってきて適切な料金を払い店を出る。

その一連の流れの中で、彼女の対応や振る舞いが感じよくて好きだったと妻が言う。

俺もそう思った、と伝える。

ただ、隣のおじさんの「カーーッ」ってあの音がすっごい気持ち悪かったと言う。

俺もそう思った、と伝える。

 

 

家に帰り上着を脱ぎ、催したのでトイレに駆け込む。

便座に腰をかけた瞬間、自分でも驚くほど大きい屁が「ブッ!」と出た。

その時タイミングよく妻が扉の前を通りかかって、驚いたのか「ブハッ!」と大きな声をあげた。

「ブッ!」

「ブハッ!」

の一連の流れが、タイミングといいなんともいえずマヌケで笑けてきたので小刻みに笑いながら大を便していた。

リビングに戻ると妻は洗濯物を干していた。

今日は天気が悪いので部屋干しだ。

僕は二年前から論語の現代語訳の書き写しを毎日少しづつしているので、ペンを取りノートに今日の分を書き写す。

洗濯物が終わった妻は作り置き等の料理を始める。

「なにニヤニヤ笑っとるだ?」

突然話しかけられる。

どうやら知らないうちに僕は思い出し笑いをしていたようだ。

もちろんさっきのことだ。

「ブッ!」って屁をこいた瞬間に「ブハッ!」ってなったのがおもしれかったと伝えると、そんなに面白かった?と呆れ顔の妻。

おもしれかったがな、とおもしろさを伝えるために更に何度も「ブッ!」てなって「ブハッ!」を再現しているうちにガッチガチにハマってしまって、腸をよじらせ一人狂ったように笑い転げてしまった。

「そんなことよりお米炊かんとご飯がないよ」

乾いた声が僕の頭を小突く。

 

 

孔子曰く

「芽を出して成長しても、花を逆さないものがある。

花は咲いたが、実のならないものがある」

 

論語の書き写しが終わり昨日から読んでいる本、高橋順子の『夫・車谷長吉』の続きを読む。

筆禍のことや強迫神経症の頃のことなど、胸を衝く話も多かったけど、長吉がペンキ塗りたてのところに寄りかかって、お気に入りの法被にペンキがベタッとついてしまったところなど、笑える話もあった。

20代後半の頃、京都の五条堀川あたりにあったのブックオフで車谷長吉の『贋世捨人』を買って読んでからしばらく彼の作品ばかり読んでいる時期があった。

そういう流れからか、本を読んでいる最中時折京都で暮らしていた時の古くてボロいワンルームの部屋が頭を過ぎることがあった。

本の内容より、ワンルームが大きくなってきたところで本を一旦やめる。

その間にMacBookにiPhoneをつないでソフトウェアのアップデートをする。

しばらくして画面がフリーズしてしまったので強制終了する。

その後再起動し再びアップデートする。

無事アップデート完了。

これを機に不要なデータやアプリ等を削除したり整理する。

あれこれ古いデータを整理をしながらある友人のことを思い出した。

それは長い付き合いで、不遇な時に話を聞いてくれたり色々と助けてくれた奇特な人だった。

しかし数年前から音信不通になってしまった。

というのもLINEでメッセージを送っても既読にならず、もちろん返事なども来なくなり、知らないうちにブロックされてしまっていたのだ。

だけど元気にやっているそうだ。

そういう噂をこないだ聞いた。

 

 

昼前に妻は仕事に行き、僕は昼は余り物でキャベツ、玉ねぎ、きのことベーコンのペペロンチーノを作って食べる。

京都に住んでいた時によく作っていた料理だ。

とても馴染みのある味だ。

またあのワンルームを思い出してしまった。

そういう日なのかな。

上手く作れた時は本当に美味しいんだけど、今回はイマイチだ。

 

 

食後にポール・ペナを流し、インスタントコーヒーを飲みながらこの文章を書く。

「ブッ!」「ブハッ!」の部分を書きながら、また思い出して一人で笑っている。

なんでこれくらいのことで笑っているんだろうと思いながらも笑っている。

しかし笑っている時は時間のくぼみでつまずいたような感じだ。

日常だとか生活だとかのあれやこれや時間の流れから一瞬離れられる。

それにしても40歳になればこれくらいのことでは笑わない素敵なおじさんになっていると思っていたけど、大きな間違いだったようだ。

やれやれだ。

そういえば最近、ふと気づいたらやれやれだなーと口走っていることが増えてきた。

いつからだったんだろうか。

今年に入ってからだった気もするけど。

月日は百代の過客。

と言ったのは誰だったか。

年々時間の進み方が早くなっている(ように感じている)せいでなのか、どこかで何かに急かされている感じがいつもしている。

と言うか無意識に身体がそれを意識している感じがする。

実際に仕事など、具体的に急かされていることもたくさんある。

今週は割と忙しく体を酷使したため、今日はなるべく休ませようと思う。

特に指先が腱鞘炎気味なのでギターなんかはお休みだ。

本当はあれこれ弾いてやりたいことがあったけど。

 

 

数日前にイメージトレーニング用にと、月本さんからバイシクルライディングの本が送られてきたので(来月の自転車の大会は中止になりました)、これを日々少しづつ読んでいる。

その中で「バイクで痛みや過度の疲労を感じてしまうカラダの箇所があったら、そこには自分自身がバイクにかけた力(作用)が不適切であったために、反発が返ってきている(反作用)と理解してください」と書いてあった。

自転車だけでなく、日々の生活の力の入れ方も考えないといけないだろう。

疲弊した身体のあちこちからそんな声がする。

やれやれだ。

再び高橋順子の本を読む。

詩はお金にならない。

でも精神的な危機を救うことがある、と言っておきます。

とのこと。

 

 

3時のおやつに冷凍していた餅を二つどんぶり鉢に入れてレンジで温め、砂糖ときな粉をまぶして食べる。

いつでも焦りは禁物だ。

「ブッ!」「ブハッ!」

むせてきな粉を飛び散らせたらおしまいだ。

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2020年1月29日 (水)

自転車と父親の教え

『これ出ない?』

と月本さんからLINEが来たのは先月頭のことだった。

それは島根半島東部ナショナルパークライド2020というサイクリングのイベントだった。

なんだか面白そうだし、自転車も貸してくれるとのことだったので参加することにした。

『ロングコース』80kmと『ショートコース』40kmとがあり、素人の僕はショートコースで月本さんはロングコースで参加することになった。

参加することになったはいいけど、ロードバイク(?)タイプの自転車に乗ったことがなく不安だということを伝えると、一度練習しとこうかということになり、わざわざ大阪から奥様のじゅんこさんと自転車を車に乗せ旅行がてらこちらまで来てもらった。

 

その日はあいにくの雨模様だった。

なんとなく止みそうな気配があったので、自転車の練習の前にとりあえずコースの下見に行こうということで、島根半島へ車を走らせた。

優雅に遠くの海を眺めたり、景色を楽しみながらのサイクリングは最高だろうな。

そんなことを考えながらスタートの七類港からコースを車で辿る。

スタート地点からいきなり登り坂。

が続く。

続く。

続く。

結構続くがな!

これおれ大丈夫か。

出だしからウ〜ン、ウ〜ン、唸りながら必死に自転車を漕いでいる自分の姿が浮かぶ。

しばらくすると急な下りが始まった。

うねるカーブも続く。

ガードレールもあるにはあるが背が低く頼りない。

ガードレールに激突して体だけ宙に浮かんで、そのまま海に落ちてしまう自分の姿が浮かぶ。

これは海パンも履いておく必要がありそうだ。

ガードレールの先が海になっているところだけじゃなく、山の谷間になっているところもある。

血まみれになって転げ落ちる自分の姿が目に浮かぶ。

その後も起伏の激しい道が続く。

なかなかハードなコースだ。

景色を優雅に楽しむ余裕はなさそうだ。

気持ちがどんよりしてきた。

がしかし、その分完走した時の達成感も大きいだろうという期待も膨らんできた。

ゴールした瞬間に感極まり、どこかの知らないおっさんに涙しながら抱きついている自分の姿が浮かんできた。

 

その後も車を走らせ、途中水木しげるのおばあさん(のんのんばあ)の出身地である諸喰に立ち寄り、美保神社、美保関灯台を経て皆生へ。

車中、月本さんの家の鎮守の溝咋神社の主祭神の玉櫛媛が、美保神社の主祭神の事代主の間に産まれた子の姫蹈鞴五十鈴姫命が神武天皇の皇后の母親だったということで、縁が深いというような話をしていた。

ちなみに美保神社の主祭神は事代主と美保津姫となっているけど、本来は美保津姫じゃなくて御穂須須美だったという説もあるようだ。

詳しいことはわからないけど。

 

 

皆生に着いた頃には小降りになっていたので自転車の練習を開始(その間じゅんこさんは温泉へ)。

月本さんにアルミフレームの自転車をお借りしていざライドン。

非常に軽い。

変速の使い方を教えてもらいながら月本さんの自転車に着いていく。

サイクルロードを流す。

少し余裕ができたところで海を見る。

疲れたおじさんの独り言のような色だ。

鉛色の空から冷えた風と雨粒に混じって届いた便りは昔の記憶だった。

それは5歳か6歳の頃雑木林近くの広場で、父親の指導のもとに自転車に乗る練習をした時のこと。

いや、その時のことを思い出して父親が喋っていた、確か10数年前に京都で一緒に居酒屋で飲んでいた時のことだった。

 

「あの時しんじは全然自転車に乗れんかったけんなー」

 

「え、そうだったっかいな。

すぐ乗れた気がするけど」

 

「いや、全然乗れんかった。

だけんあの時近くにあった木に登らしただろう。」

 

「あー、確かに木に登った記憶がある」

 

「その後に自転車に乗らせたらすぐ乗れるようになったけんなー」

 

「そうだったっけ」

 

「自転車になかなか乗れんで不安げにしとったけん、木登りさせて自信つけさせようと思って登らせたんだわ〜」

 

なるほど、今から考えると動物とかが不安やストレスを感じた時に、気持ちを落ち着かせるためにとる転位行動の効果があったのかもしれない。

青森に住む父親のことを思い出したのは、この日の朝何年ぶりかに電話で話したからだったのかもしれない。

 

 

そんな事を考えながら、月本さんの背中を追っていく。

月本さんは仕事で来月からリスボンに行くそうだ。

サイクルロードはまだ工事中で、今回は皆生からは夜見あたりまでしか行けなかった。

そこで引き返し、皆生の起点に戻りそこで休憩。

サイクリング会場となる島根半島が遠くに眺めながら、本番うまく走れそうな予感を感じる。

 

 

本番まであと1ヶ月ちょっとになった。

それまでにお尻にクッションの入ったパンツなどの装備品を揃えないといけない。

本番も月本さんに自転車をお借りするので、それまで今日の感触を忘れないようにイメトレをしないといけない。

それに父親が言っていたように木登りもしないといけない。

僕は最近夜中寝言ですごく怒っているらしく、どうやらストレスが溜まっているようだから、木登りは転位行動として効果的かもしれないし、加えて、谷間に落ちた時に必要なスキルになるかもしれないからだ。

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2019年12月31日 (火)

世界は探し物であふれている

仕事から帰り、キッチンに行くと妻が料理をしていた。

大根もちという、僕は食べたことのない料理を作っている最中だった。

大根おろしとその他調味料等を手で混ぜ合わせる際に、衛生面を考慮してのことだろう、食器棚の台に外した指輪が置いてあった。

ふとその指輪が目に留まり、なんとなく自分がつけている指輪を見ようと左手の薬指に目をやった。

「あれ、指輪がない」

そこにはあるはずの指輪がついていなかった。

「え、なんでないだ」

「え!指輪無くしたの!」

「あれ、なんでだ」

「え!まさか指輪無くしたのー?」

妻も料理よりも僕の指輪がないことの方が気にかかっているようだ。

そりゃそうだろうな。

軽くパニックに陥る。

今日は現場と昼飯を食べに定食屋に行ったくらいだけど、どこかで落としてしまったのか。

いや、落としたんだろうな。

だって指に指輪がないもんな。

その時再び食器棚の台に置いてある指輪が目に入った。

「あ、これ俺のか!」

「違うわ、それ私のだわ!

どーせそのうちなくすと思ってたわ」

「俺のことよくわかっとるがな」

 

 

ギターを弾く際に指輪をはめていると指輪が弦を干渉することがあるので、いつもギターを弾くときは指輪を外すようにしていた。

ということもあり、外しやすいように若干指輪の径を大きめにしていたせいで、抜けやすくなり何かの拍子でスポッと抜けてしまったのかもしれない。

自分なりにシュミレーションしてみると、ハンドソープで手を洗うときと、作業用の手袋を脱ぐときが一番勝手に指輪が抜けやすいということがわかった。

実際風呂場で手を洗いながら勝手に指輪が取れたことがあったので、手の洗った場所が一番疑わしき場所だろうということで、まず現場の仮設水道付近を調べることにした。

 

翌日は昨日の夜からのゆるい雨。

現場に着き僕は愕然とした。

仮設水道の周りの地面は泥で、しかも雨のせいで小さな水溜りになっていた(僕の記憶では単なる砂利の地面のはずだったのに)。

この泥水の中に埋まってたらなかなか見つけられないのは火を見るよりも明らかだ。

それでも一応昨日帰りに手を洗った時と同じように手をこする仕草をして、そのとき指輪が飛んで行ったであろう場所を中心に調べることにした。

泥と雑草が少々入り混じった水溜りに手を突っ込んで、泥をすくい上げその泥の中に指輪が入っていないか確認する作業を数回やったところで全く見つけられる気もしなかったので諦めることにした。

今度は作業用手袋を外しただろう場所を、といってもそれはかなりの頻度で行っていたので、とりあえず現場の建物内部を歩いてチェックしたが、こちらにもなかった。

仕事もしないといけないので、指輪探しは一旦やめにして僕は仕事を始めた。

 

作業をしながら昨日の自分の行動を頭の中で反芻していた。

その時昼間の定食屋の洗面で手を洗った時の場面が光り輝いて蘇ってきた。

あの時ハンドソープを使って洗ったし、あの時に指輪が外れてしまったのかもしれない。

いや、あれしかない。

あれだ!

確信めいた何かが体の中で響いた。

スマホを取り出し昨日行った定食屋を検索して連絡先を調べる。

まだ営業時間前だったが、こらえきれず電話をかける。

店員さんに指輪の件を伝えると、これから掃除をするので見つかったら折り返し連絡をするとのこと。

昼近くになっても連絡がなく現場にいても心ここに在らずなので、その定食屋に昼飯を兼ねて指輪を探しに行くことにした。

料理を注文して手を洗うついでに洗面台の排水口をチェックしてみる。

ハッ!

なんてことだ!

排水口キャッチャーのようなものが付いてなく大きな口が開いているじゃないか。

一応無駄だと思ったけど指を排水口に突っ込んでみる。

「とっても大きい穴が開いてますよ」と指からの報告が脳に伝わる。

「もちろん指輪ごときあっさりと飲み込むくらいの穴ですぜ」とのこと。

なんでここに排水口キャッチャーつけてないだや!

と店の人に文句を言ったところで、お店の人も訳も分からずびっくりするだろう。

これじゃ指輪はもう諦めるしかない。

とりあえずここにずっと突っ立っていても何も解決はしない。

昨日と同じようにハンドソープをつけ僕は手を洗った。

手の汚れと共に、僕の淡い期待は泡にまみれて排水口の奥底に流れていった。

 

 

先日実家に置いたままにしていたストラトを取りに行ってきた。

久しぶりに見たストラトは、なんだかくたびれているように見えた。

弦は錆び錆びだし、というかブリッジやペグ、あらゆる金属部が錆びまくっていた。

それにフレットもかなり削れている。

ボディーについた無数の傷を見ながら思い出すことがあった。

このストラトは高校2年か3年の時に通販で買ったフェンダージャパンのギターだ。

現在に至るまで数々の引越しに耐え、今もこうして僕のそばにいる数少ない持ち物の中の一つだ。

二十数年間ずっと大事にしていたかと言うと、そんなことはなく、ケースにも入れず裸で自転車のカゴに入れたまま遊びに行ったり、部屋の掃除をしている時に誤って何度かバタンと倒してしまったこともあったし、感情任せに乱暴に弾いたり、しばらく存在を忘れてしまったこともあった。

もちろん大事にしてきた部分もあったと思うけど、どちらかと言うと丁寧とはかけ離れた面で付き合ってきた感じだ。

にも関わらず、どこにでもあるような、だけどなんとも言えない響きで慰めてくれたり、このギターのおかげで経験できたことや出会えた人やメロディーが沢山あった。

ボディーの裏面には15年くらい前に書いてもらった杉村ルイさんのサインが、かすれてはいるけど残っている。

あの頃のことは今でもスッと手で触れることができるような距離感で覚えている。

いろんなことがあったなー。

乱雑に扱ってきてすみません。

じゃーこれからもよろしく。

というわけで、フレットの打ち直しや、ペグ、ブリッジ等も交換、電気系統のチェックを含めストラトを修理に出すことにした。

 

 

数週間後に楽器屋にストラトを取りに行く(ちなみに修理費用は買った時の二倍以上だった)。

こんなに素敵なギターだったっけ。

もちろん金属部分が新しくなって輝きが増したのもあるだろうけど、それだけではなさそうだ。

家の小さいアンプに繋いで弾いてみる。

楽しくて夢中になる。

高校の頃、音楽で僕の狭小な世界がブレイクスルーした時と変わらず、やはり楽器を弾いている(または歌っている)時だけの特別な時間は今も変わらず流れていた。

うーん、面白かった。

ギターを弾き終え、夕飯の準備のため洗面所に手を洗いに行った。

 

「あ、指輪だ!」

 

しかしそれは指輪ではなかった。

洗面の水を貯めるゴム栓と、小さい数珠のような鎖とをつなぐリングが指輪に見えただけだった。

指輪に見えたのは、都合のいいように物事を見たいように見てしまう僕の頭の仕業だった。

もしかしたらこれは老化現象の一つなのかもしれない。

今回の洗面のリングが指輪に見えたのが一度なら単なる勘違いだけど、その後二回も同じように「あ、指輪だ!」と思ってしまったからだ。

しかしそれにしても、最近こういうことが多くなってきた気がする。

 

こないだ現場で70代のおじさんが大工道具や部材が乱雑に置いてある台の前で、目の前にチリトリがあるのに、「あれ〜?チリトリがないぞ〜チリトリがないぞ〜」と探していた。

目の前にありますよと教えてあげたにも関わらず、「あ〜?目の前〜?」と見つけられないままだったので、おじさんのそばに寄って直接指をさして「チリトリここですよ」教えてあげた。

きっとおじさんはここにはチリトリがないという頭でそこの台の上を見ていたんだろう。

見たいものが都合悪く見えないという逆の老化パターンもあるようだ。

また別の日そのおじさんは、そんな感じでホウキを探し回っていた。

 

 

さて、結局指輪はどこでなくしたんだろうか。

それがわかる日はもうこないだろう。

仕方がないけどそんなことばかりの世界だ。

指輪が知らないうちにさらりとなくなっていたということもあって、頭をガツンと殴られたようなショックというより、胸焼けのようなムカムカしたショックが長く続いている。

そのうちなくなるだろうけど。

しかしどんな形であれ、僕の場合ショックを受けた時は楽器を手にした方が良さそうだ。

ギターの響きが変わって聞こえる。

久しぶりに曲ができた。

『なくした指輪』という短い良い曲ができた。

きっと僕はこんな曲を探していた。

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2019年11月29日 (金)

電話を切るときは元気よく

第一印象は柔和で丁寧な印象だった。

音源の歌声から感じていたイメージと違和感なく結ばれたのが妙に嬉しかった。

 

本番当日の昼間に訪れたレストランでみんなでお茶をしているとき、今夜歌いたい曲があるから一曲追加したいと、ミゲルから提案があった。

 

本番のステージの半ばあたりでその歌は始まった。

ひたむきにアカペラで歌う彼の後ろ姿を、ギターを抱えながら見ていた。

自然と彼の故郷、労働しながら歌っている人たちの姿が浮かび上がった。

もちろん映像として浮かんできたわけじゃないけど、歌の中にその存在が確かにあった。

自分や家族のためだったり、彼の優しさの根底にあるものが響いていた。

歌は決して明確で強烈な印象でも、激しく感情を揺さぶるものでもなかった。

だけど確実に僕の人生にめり込んでいた。

 

 

今回のFADO no Japãoの来日アーティストはミゲル・カモンイスというファディスタだった。

彼の故郷、ポルトガルのアレンテージョ地方。

そこには「カンテ・アレンテジャーノ」という歌の文化があり、今回ミゲルがアカペラで歌った歌はその中の歌だった。

元は農場で働いていた人が農作業をしながら歌っていた曲とのこと。

詳しいことはミゲルのCDの月本さんの解説に書いてある。

「我々は何事に対しても時代に合わせて適応していく必要があると思う」

というのは、この解説の中で月本さんがミゲルにインタビューしていた中の答えの一つ。

これは多分対人関係にも言えることで、きっと彼の普段の気遣いややさしさの裏側でいつも活きている言葉なんだろう、彼の周りで過ごす人がみんなリラックスしているのがそれを証明していた。

 

 

ツアーから帰り、しばらくViola(ギター)は休憩かなーと思ったけど、ふと弾きたくなって今回ミゲルと演奏した曲を思いつくままに弾いてみた。

なんだか軽やかというか、響きがつい先日と違って聴こえた。

肩の荷が下りてそう聴こえたんだろうか。

分からないけど、ポルトガル製のViolaがミゲルの歌を求めてるように思えた。

だけど、多分それは僕の感傷の仕業だろう。

 

今回のコンサートではまたまた色々な人にお世話になった。

お客さん、ミゲル、通訳の阪井さん、長野さん、じゅんこさん、月本さんのお母さん&お父さん、うちの奥さん、関わってくださった皆さん、本当にお世話になりました。

そして毎回のことながら月本さんにも大変お世話になりました(ネクタイの件よろしく。うひひ)。

それに僕のバッチを買ってくれた方もいらっしゃいましたよ(わーい)。

本当にありがとうございました。

 

 

さてコンサートが終わり地元に戻って翌朝のこと。

大山の麓で暮らすおじさんから大根取りにおいで、と電話がかかってきたので次の日曜日におじさんの家に車を走らせ行ってきた。

「あれ、大根は?」

「んあ〜、何言っとーだー、自分で掘るだがなー」

「あ、そうなの」

「当たり前だがな、なにおっつぁんに掘らそうとしとーだー、怠けんな」

というわけでおじさんと僕は家の裏の畑へ向かった。

そこには沢山の大根が列をなしていた。

良さそうな大根を引っこ抜く。

沢山あるし沢山持って帰れと言われたけど、沢山もらっても困るので、必要な分1、2本だけで十分ですと言ったけど、おじさんはそんな僕の言葉を単なる遠慮と思ったのか、そもそも人の話を聞いていなかったのか知らないけど、「はよ抜くだがな」と率先してどんどん大根を抜いていく。

結局大根20本程を車に積んで帰ることになった(プラス柚子10、白菜2、椎茸5、ヒラタケ10、なめこ10、謎きのこ無数、玄米30キロ)。

帰りに兄の家や実家に寄り、おすそ分け。

ほとんどの大根や柚子、謎きのこ等は兄の家の方でさばいてもらった。

それから5日後におじさんから『連絡くださいね。』と、とてもシンプルなメールが届いた。

なんかあったのかと思って電話をかけてみる。

「もしもしなんかあった?」

「明日大根取りにこんか?」

「え!こないだいっぱいもらったばっかりだがん!

明日はちょっとやることがあって無理だし、またこっちから連絡しますけん」

「そーか…

ほんなら連絡まっちょーよ」

なんとなくさみしげなおじさんの声が、電話を切った後僕の視界の端で揺曳していた。

目をこすってもなかなか視界から出ていかないので、週明けに連絡をして再びおじさんのところに大根をもらいに、妻を連れて行くこととなった。

行く日の朝にこれから取りに行くよとおじさんに電話をすると、風邪で寝込んでるし勝手に畑から取って帰っていいよ、とのことだった。

おじさんの家に行くといとこのお兄さんがいたので、畑まで同行してもらって大根と柚子を頂く。

いとこと会うのも久しぶりだったので家に上がらせてもらい、いとこの話を聞きながらお茶をよばれる。

ついでに亡くなったおばあさんの仏壇に線香をあげる。

昔からある木魚をそれとなくポクポクと懐かしむように叩いていると、横から妻がやめない!と注意をしてくる。

「これやるとおばあさんが喜ぶんだわ」

と、本当におばあさんが喜ぶかどうかは知らないけど、妻の言葉を制し僕はなんどもポクポクと木魚を叩いた。

 

おじさんの家からの帰り道、使われなくなった田んぼが荒地になっているところが目についた。

かつて僕がちびっこだった頃、親戚一同みんなで田んぼ仕事をして賑やかだった頃を思い出した。

数年前亡くなったおばあさんはずっと農家暮らしでゴツゴツの手をしていた。

農作業中どんな歌を歌いながら仕事をしていたんだろうか。

ふとそんなことを思った。

ミゲルの「カンテ・アレンテジャーノ」のような歌はあったんだろうか。

いや、そんな素敵な歌はなかっただろう。

というか、そのそも歌なんか歌ってなかったのかもしれない。

だけど何かしら労働を緩和させる心のよりどころになるものはあったんだろう。

それは一体どんなものだったんだろうか。

 

 

夕方おじさんから電話がかかってきた。

「もしもし」

「もしもし、風邪治ったー?」

「うん、だいぶよんなったわー」

「大根頂いて帰りましたよー」

「おん、ええよー」

「ありがたくいただきますけん」

「何本持って帰ったー?」

「えっ」

「大根何本持って帰ったー?」

今回は妻の方面でいる人もいたので9本ほど頂いて帰っていたけど、もらいすぎだったかなー。

と思いながら応えた。

「9本もらって帰った」

「ん〜、9本〜?

すくねーなー!

なんでもっと持って帰らんかっただや」

「いや、こないだも沢山もらったばっかりで余っとるし」

「そーか…

また来いよ」

 

電話を切った後、少しさみしげなおじさんの声が僕の視界の端で揺曳していた。

いつまでこのループは続くんだ。

アレンテージョにはこういうおじさんはいないのか。

ミゲルならこんなときどうするんだ!

 

 

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2019年10月27日 (日)

サウダーデがファドを歌ってるよ

アパートに引っ越してきて約半年。

生活のリズムが安定してきた。

様々な料理の匂いや生活の匂いがリビングにしっかり染み付いたことがそれを証明しているかのようだ。

しかしその匂いは独特だ。

妻が毎晩漢方の強烈な匂いのお茶を煮出しているので、その匂いがベースとなり、煮物炒め物、あらゆる料理の匂いやらなんやらが相まって本当に独特な匂いがリビングに染み付いている。

加えて、洗面の排水口からの臭いも日によっては上がってくるので、こちらも臭い。

寝室に関してはさほど匂いはしないと思っていたけど、妻に言わせると脂っぽい匂いがしてくさいとのこと。

僕が「全然臭くないけど」、というと「本気で言ってる?嘘でしょー!」と驚きとあきれの混じった複雑な表情を浮かべる。

歳をとると自分の加齢臭に鈍感になるらしいが、そのせいなのかもしれない。

臭いといえば夏場の現場の仮設トイレは本当に臭かった。

ものすごく臭い時よくうんこを鼻にくっつけたくらい臭い、と例えられることがあるけど、そんな生易しいレベルの臭さじゃなくて、うんこを鼻の穴にギュッ、ギュッ、ギュッと詰め込まれ、さらにうんこのペーストを肌に塗りたくられるくらいの強烈な臭さだった。

なぜ肌にまでくるくらい強烈かというと、息を止めて用を足していてももちろん臭気は鼻を突くし、何かしらうんこのクチャイ成分が肌の細胞の間隙を縫って体内に入り込もうとするのを感じて悪寒が走るからだ。

そういえば、コバエが無数に飛び回っている激ヤバ仮設トイレもあった。

あれは強烈な光景だった。

下手に息をすると誤まってコバエまで吸い込んでしまうんじゃないか、くらいの数が飛び回っていた。

人によっては臭いより、無数に飛び回るコバエの方に耐えられなくなる人もいるだろうが、僕の場合なぜだか言うほど苦でもなかった。

それに見方によっては神秘的というか、幻想的に見えないこともなかった。

とは言え、ウジ虫の抜け殻はいたるとこに落ちていたし気持ち悪いは気持ち悪かったけど…。

こんな話はやめにしよう。

食欲が失せてしまう。

美味しい話をしよう。

そうしよう。

先日京都で食べたジビエ料理がとても美味しかったという話をしよう。

かつてのバンド仲間の岡ちゃん(オカムラケンゴ)のやっている〜大分のソウルフードでイタリアン〜の食べ物屋のilifuneが4周年ということで、それとなくやんわりお祝いをしたくて、妻と京都に住む由利夫婦を連れ立って飲みに行った。

パスタや大分の漬物を使った創作料理がものすごく美味しく、ジビエの肉も下処理が丁寧にされているのか柔らかくジュウシーで、疲れた体に優しく溶け込んでいくのを感じた。

加えて由利くんや岡ちゃんと音楽の話をしながら飲む酒が、これまた特別だった。

15年近く前になるだろうか。

よく分からないなりに一生懸命僕らはバンドにエネルギーを注ぎ込んでいた事を思い出した。

何か言いそびれたことがあったような気もしたけど、これからまた楽しい音楽に出会えそうなそんな予感を孕んだ夜だった。

 

 

先週は来月のコンサートに向けての音合わせのために、月本さんが日帰りでこちらの方まできてくれた。

米子駅まで迎えに行き、2年前のFADO no Japãoの音合わせの際にも利用させてもらった音楽天国という貸スタジをに向かった。

場所はしっかりと把握していたつもりだったが、途中で道を見失い、月本さんが手元のタブレットで調べてくれた。

「スタジオなんて名前?」

「音楽天国ってところ」

「おんがくてんごく…(タブレットに入力している)」

「天国への道のりは険しいなぁ…」

「せやなー、極楽浄土へ簡単に行けるようならお釈迦さんもあんなに苦労せーへんかったやろなぁ」

言い得て妙。

きっとその通りなんだろうな。

お釈迦さんですら苦労していたのに、僕のような単なるおじさんが天国はどこなのか、ましてや人生とはなんなのかなんてわかるわけがない。

タブレットに従いルートを修正する。

なんかこのやり取り、この感じ、一度経験した気がする。

いや、気のせいなんかじゃない。

もちろんデジャブなんかでもない。

そう2年前も僕らは同じ道を同じように迷い、そして同じように月本さんにタブレットで調べてもらってスタジオにたどり着いたのだった(こんなところで迷っているようじゃ到底極楽浄土にはたどり着けそうにありませんね)。

 

 

スタジオは昼間ということもあり、利用客も少なく落ち着いて音合わせができてよかった(隣がバンド練習とかだと結構低音が響いてくる)。

今回初めての曲だったり、デボラ・ロドリゲスやアンドレー・ヴァスと演奏した定番の曲等を合わせていく。

演奏しながら思い出すことや思い浮かべる情景があった。

もちろんそれらは曲が終わりしばらくすると消えていく。

なぜだかそのことを妙に愛おしく感じてしまった。

月本さんのアドバイスをもらいつつ伴奏を調整する。

 

 

スタジオの後は同級生が働いている回転寿司屋に行き一息つく。

その後バスの時間までドライブしながら、お互いの家族や生活の話をした。

 

 

今年はミゲル・カモンイス(Miguel Camões)という男性ファディスタが来日するとのこと。

ステージに向け僕は音源で彼の歌声を聴いたり、写真を見たりしながらどんな人だろうと想像している。

彼のアルバムに収録されている、『Quebranto』や『Quem vai ao fado』という曲を始め、定番のファドがどんなふうに歌われて、どんなふうに響いてくるのか楽しみだ。

今回のツアーに関しては是非FADO no Japãoのサイトをご覧いただきたい。

今回僕は11月8日大阪日本ポルトガル協会のステージで伴奏させていただきます。

 

 

さて今僕は漢方のお茶を煮出しているキッチンの横でこれを書きながら、こないだスタジオで録音した練習音源の『O que é que eu digo à saudade』を聴いている。

『O que é que eu digo à saudade』はサウダーデをどう言おうというようなニュアンスの言葉とのこと。

曲調はもちろん、その歌詞の意味で思い浮かべる情景やじんわりとくるものがある。

とてもいい曲だ。

それにしても煮出したての漢方の匂いは強烈だ。

この匂いにもいろんな情景が含まれている(とても個人的な)。

違う意味でじんわりとくるものがある。

時間の間隙を縫って僕の記憶に入り込もうとしている。

いつか愛おしく感じる時が来るんだろうか。

 

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2019年9月29日 (日)

ところで、ギターは買いましたか?

岡山のとある楽器屋さんで、それとなくギターを見ていた。

あれ、このギターは…?

そこには以前からちょっと気になっているシンラインの赤いギターが飾ってあった(欲しいのは赤じゃないけど)。

どんな音がするんだろう。

弾いてみたい、けど、特に買うつもりはないから店員さんに試奏をお願いするのは気が引ける…。

けどやっぱどんな感触なのか、音なのか知りたいし弾かせてもらいたい。

それとなく店員さんの様子を窺う。

うーむ、穏やかで親切そうな人だ。

思い切って声をかけてみようかな。

とギターの近くを行ったり来たりギッコンバッタンどうしようかと考えていると、中学一年生くらいのロックが好きそうなちょっと派手めな服装の女の子二人が店員さんに話しかけにいった。

「すいませーん、初心者向けのギターってありますか」

「ありますよ。

ありますけど、ご予算はどのくらいですか」

「できれば一万円台でありますか」

「それだと3、4台ほどありますよ」

というような会話から、彼女らはそのギターが置いてあるだろう二階の方へ移動した。

これからギターを始めるんだなー。

なんかいいなー。

あの子達もトライしてるし、やっぱ試奏させてもらおうかなー。

だけど店員さんはあの子達を案内しに行っていなくなってしまったなー。

と、今度はぼんやりと楽譜コーナーのあたりをそれとなく眺めていた。

あれ、この本は…?

そこには去年あたりからちょっと気になっていたジョン・ケージの『作曲家の告白』という本が置いてあった。

これは面白そうだし早く読みたいな、ということでシンラインの試奏は諦めて、結局本だけを購入して店を後にした。

 

なんか落ち着いて座れる喫茶店はないかなーと、商店街のアーケードの中をぶらつく。

いくつかよく見かけるタイプのチェーン店のカフェはあったけどスルーする。

アーケードを抜け、交差点で長い信号を待っている時、退屈だったのか被っていたキャップを脱いで、キャップの天面についている小さな穴から景色をのぞいているおじさんがいた。

退屈な風景を見方を変えて楽しもうとしているんだろうか。

それとも何かのゲームなのか。

信号が変わり横断歩道を渡る。

一階がカフェになっている古いビルの前を通り過ぎる。

なんだか気になるので踵を返し、店の外観扉を一通り見渡した後にカフェの扉を開く。

天井が高く古い佇まいの落ち着いた店内で、しかもお客さんは僕一人だけなのでゆっくりと過ごせそうだ。

アイスコーヒーを飲みながらフーッと時間差で長距離運転の緊張感が和らぐのを感じる。

落ち着いたところで先ほど購入した本を読み始める。

面白い。

『もはや音楽とは一年目から四年目へと進むものではなく、AからZへと進むものになりました』

読み始めから気になる言葉と出会った。

本の帯を改めてみてみると、そこにも面白いフレーズが。

『わたしが一番好きな音楽とは、まだ聞いたことのない音楽です。

わたしは自分が作曲する音楽を聴いているのではありません。

わたしは聴いたことのない音楽を聴きたいから作曲しているのです』

また、オスカー・フィッシンガーという人が物質に内在する精神について語った『木から発生するサウンドは、ガラスからのものと違う精神を持っている』という言葉もとても興味深かった。

『わたしは作曲家の個性に由来するものと、素材の性質と文脈に由来するもの、この二つが表現において不可避的に生じることを認識しました。

そして意識的に努力することより、自然に生じるように任せるとき、より、繊細に表現は発露すると感じたのです』

読んでいくうちになんとなく感じていたことが、より鮮明に、明確に分かっていくようでとても興味深かった。

ただ、知識が乏しいため、読んでいてもいまいちよく分からない部分も結構あった。

しばらくするとお客さんが入ってきて賑やかになってきたので店を出ることにした。

 

時間を確認すると15時過ぎ。

16時までもう少しだ。

今日は仲井戸麗市のライブを観に岡山に来ていた。

『CHABO』というアルバムの、初めて聴いたときに思わずズッコケた『オーイっ!』という名曲を大声で歌いながらハンドルを握り車を走らせてやってきた。

16時開場ということで、会場のYEBISUYA PROへ。

味わいのあるおじさん達がフロアでたむろしている(おばさんもちらほら)。

整理番号順に並んでいると、後ろの方から、RCサクセションや忌野清志郎の話が色々と聞こえてくる。

僕のように一人でひっそりとやってきている人も結構いる。

開場して階段を降り、ホールの中へ順番に案内される。

客席にパイプ椅子が並べられていて、自由席ということだったので僕は中央中程の席を確保する。

僕の両隣は僕のように一人でやってきたと思われるおじさん二人だった。

後ろからはまたRCの話が聞こえてくる。

に加えて歯から心筋梗塞になる(?)というような病気にまつわる話も聞こえてくる。

どこかのおじさんがどこかのおじさんに年齢を聞いている。

どこかのおじさんが53ですと答えると、その若さでCHABOを観に来るなんてなかなか見所があるな、とどこかのおじさんが言っている。

そう、だいたいお客さんは50代から60代といったところだろう。

もちろん会場には加齢臭が漂っているが、深みとコクがある、と言ったらいいんだろうか。

僕のような若造の加齢臭とは格が違うのを肌で、いや、鼻で感じる。

臭いけど、もちろん臭いけど、なぜか嫌な臭さではないのが意外だった。

あたりを見渡すと、親子で来ているんだろうか、僕より若い女性もいるけど、全体的に一人できている人が多いようだ。

そういう人たちから、表には出さないけど、本当に楽しみにしているっていうのが伝わってくる。

開演まで時間があるので物販コーナーを物色する。

『Dessin』という会場限定の写真家の奥様とコラボしたCDを購入する。

スタックスのマークを模したCHABOTシャツが素敵だった。

 

開演の17時が近づいてきたので席に戻る。

どこからかCHABOは時間通りに出てくる人なんかなーという声が聞こえてくる。

ロックの人だし、やっぱその辺はルーズなんじゃないー、と誰か。

僕はなんとなくCHABOは時間はちゃんと守る人な気がする。

時間ちょうどになり、CHABOが登場。

シルエットが見えた瞬間胸が熱くなる。

「チャボさーん!」

「チャボー!!」

一気に会場が沸き立つ。

アコースティックギターをかき鳴らす。

ブルージーなリフが錆つき始めた僕の胸のドアをノックする。

なんてかっこいいんだ。

弾き方もかっこいい。

独特のあの歌声、歌い回し。

そして、クリーデンスクリアウォーターのあの曲に似た聞き覚えのあるリフが鳴る。

オーーーイ! オーイ! オーーーイ! オーイ!

目の老い! 耳の老い! 足腰の老い! 頭の老い!

心の老い! さまざまな老〜い!

今日車の中で一人熱唱していた『オーイっ!』を会場全体、老いた人たち中心で熱唱!!

もちろん僕もそれに加わっている。

これは若い人には出せない独特な世界観とエネルギーだ。

僕の左隣のおじさんは右太ももと左太ももの小さな隙間で小さく手拍子をしているだけだが、完全にCHABOワールドに浸っている。

その目が物語っている。

CHABOは曲の合間合間に、いろいろなエピソードを挟みながらステージを進めていく。

萩原健一とタクシーの運転手のエピソードは笑った。

ブルースとかいろんなカバー曲もやっていたけど、英語詞のものはCHABOなりの日本語に訳され、本当にCHABOの歌になっていて素敵だった。

特にニールヤングのハーベストムーンのカバーは星空がそこにあるかように素敵だった。

清志郎のエピソードを話した後に『忙しすぎて』や『お墓』など、RCサクセションの曲を歌ってくれた。

僕がこの日一番魂揺さぶられたのはこの『お墓』という曲だった。

20代前半の不安定極まりない頃の感情がどっとあふれてきて、それと一緒に涙も溢れた。

あの時のことはなかったことにはなっていなかったんだ。

RCサクセションの曲を演った後、一人でもバンドでもRCの歌うたってってよーとCHABOは言っていた。

今でも本当にRCの曲が好きなんだなー。

 

そういえば面白いお客さんがいた。

MCでCHABOが、「俺は褒められると伸びるからどんどん褒めてー」と言うと、「じゃあどんどん褒めますんで朝までやってー!」と叫んだり、「明日休みなんだったら、今日は開演もっと遅らせればよかったなー」とCHABOが言うと、「じゃあ9時から2部やってー!」と叫んだり、「これは27歳の時に作った曲なんだけど、みんな27歳の時何やってたー?」と聞くと、「チャボさん聴いてましたー!」と叫んだり、ものすごく熱狂的で調子のいい面白いCHABOファンの方がいた。

後のMCで分かったけど、そのおじさんは学校の先生で古くからのCHABOのファンだということだった。

「俺は学校にもいかず街でフラフラしてたけど、こういうような先生に会ってたら俺も学校に行ってたかも知れねーなー。声には出せないけど、大っきな声で叫んでいる子供達がいっぱいいるんだよなー」とCHABOが呟いたのを聞いているそのおじさんの後ろ姿がとても印象的だった。

かつてこのおじさん(先生)は授業中に『雨上がりの夜空に』を歌って校長先生の逆鱗に触れ、始末書を書かされたらしい。

 

その後も『やせっぽちのブルース』のかっこいいギターが炸裂したり、『いい事ばかりはありゃしない』の「金が欲しくて働いて〜」の後の、「眠るだけ〜」のあの高いハモリのところを歌うCHABOと一緒に歌える嬉しさですっかり我を忘れて楽しんだ。

エレキギターを取り出して『雨上がりの夜空に』の時は、みんな総立ちで大合唱。

左隣の小さめに手拍子するおじさんももちろん立っていた。

が、やはり手拍子は小さめだった。

が、やはりその目は物語っていた。

最後は『ガルシアの風』の朗読。

アンコールを含め一人で2時間35分以上のステージ。

すごすぎる。

本当は『My R &R』も聴きたかったけど。

そんな贅沢は言ってられないくらいすごすぎた。

69歳。

歳を重ねたことによってのかっこよさが確かにあった。

あの歳にしてはすごいというものではなくて、あの歳じゃないと出せない最新のかっこよさだった。

アコースティックギターからの精神と、エレキギターからの精神それぞれの魅力が溢れ出ていた。

そして何よりCHABO自身の精神が溢れ出ていて素敵だった。

 

終演後、物販購入者にはサインをしてくれるという事でその列に並ぶ。

なかなかの長蛇の列だ。

一人に与えられた時間はほんのわずかなものだ。

何を話そうか。

『お墓』が良かったのはどうしても伝えたい。

これで決まりだ。

だんだんと僕の番が近づいてくる。

前のおばさんの番になった。

次は僕の番だ。

「ちょっと待ってくださいね!」

その時だった。

スタッフの女性に止められた。

「前の人が終わるまでそこでお待ちくださいね」

どうやら僕は気持ちがつんのめって、前のおばさんのサインが終わっていないのに思わずCHABOの方に歩み寄ろうとしていたのだ。

これはいかん、冷静にならなくては。

そして僕の番になりCHABOの前へ歩み寄る。

「お疲れ様でした!

お墓すごく良かったです!」

「あ、ほんと、センキュー!」

「あ、僕も楽器やってるんで、僕もお墓歌っていきます!」

「あ、そうなの?

バンド?一人?」

いや、バンドのメンバーもいるけど今は遠くにいるのでなかなか活動できなくて…などと話そうと思ったけど、そこは省略して「一人です」と答えた。

するとCHABOは笑顔で「歌ってってよ」と言ってくれた。

サングラスの奥の瞳が優しく輝いていた。

そしてCDにサインを入れてもらって握手をしてもらいルンルン気分で会場を後にした。

 

家に帰り、今回購入した写真家の奥様HISAKOさんとのコラボCDを聴いてみる。

ハーベストという曲の

 

まぁどっちにしろ 道しるべなど もう今ここには無い

変わりやすいのさ 今日の天気 明日の気分

 

昨日という日の意味「あの頃」という時の価値

いつかきっと手にするだろう 実り多き「年月の収穫」ってやつを

 

というフレーズが印象的だった。

今回CHABOに会って気づいたことは、いい曲に出会えて、素敵なライブが見れて良かった!と鮮度のいいまま本人に伝えられることは、ものすごく貴重で、ものすごく嬉しいことなんだ、ということだった。

それとまだ今のところ、年月の収穫のことなんかはあてにしていないし、まだまだこれからも音楽をやって行くわけだけど、多分僕はAからZへの道の途中の、まだまだ前半の方で空を見上げているところだろう、ということが分かった。

 

そういえばあの楽器屋で見かけた女の子達は、ギターを買ったんだろうか。

どうなんだろう。

僕はファドの伴奏用のBAIXO(ベース)を買いましたが。

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2019年8月23日 (金)

溶けたのはアイスクリームだけなのか

あつい、あつい、あつい、とにかくあつい。

したたる、したたる、したたる、とにかくしたたる。

つける、つける、つける、とにかくつける。

僕は熱のこもった、もちろんクーラーなどついていない住宅の建設現場で、ひたすら汗を垂らしスイッチ&コンセント照明器具等をひたすら取りつけていた。

ここ最近の米子の最高気温は36、7度の猛暑日が続いていた。

運動は中止しようというアナウンスが日々スマートフォンに送られてくる。

仕事は運動に該当するんだろうか。

「あっついなー」と汗を腕でぬぐいながら、作業車に道具を取りに向かう。

水道管工事で穴掘りをしていた関西弁風の設備屋のおじさんが「中で作業しとるもんが、あついなんて言ったらあかんでー」と声をかけてきた。

しかし中は中で風も通らないし蒸して暑いし外は風がある分マシじゃないか、と言い返そうと思ったけど、炎天下の下真っ黒に日に焼けたスコップを持ったおじさんの時折笑った時に見える歯の白さが、妙に印象的でなんだか気が抜けたので「そうですね、すみませんでしたー」と返しておいた。

この暑い中、無駄な口論をして無駄なエネルギーを消費することは全くもって無駄なことなので、おじさんの歯が白くてよかったと思った。

その後しばらくして、僕は体を冷やすために近くのコンビニにアイスクリームを買いに行った。

この時期仕事の合間に食べるアイスは、美味しいから食べるというより、生命維持のために食べる感じだ。

ガリガリ君にかぶりつきながら体内の温度が下がるのと同時に、頭の火照りがゆっくり鎮まるのを感じる。

「あの人たち休憩もほとんど取らずに結構ハードに仕事していたなー」

と、さっきの設備屋さんのことを思い浮かべながらガリガリと音を立てながら再び現場に向かって歩いていた。

「やっぱ、あの人たちの方が大変そうだ。

工期に追われているんだろうな。

必死に穴掘ってたなー。

呑気にアイスを食べてる姿を見せてまた刺激したらいけんし、アイスを食い終わってから現場に戻ろう。

だし、ゴミも気づかれないように捨てんとな」

など考えながら再び現場に戻る。

相変わらず設備屋さんはハードに穴掘りをしている。

「えーもん食ってまんなー」

「えっ」

「えーもん食ってまんなー」

「えっ、あっ!」

しっかりとアイスのゴミを隠していたつもりだった、というか歩いている途中で隠すことを、というかをアイスを食べていたことすらすっかり忘れて違うことを考えていたので、僕の右手にはしっかりとガリガリ君の食べ終わった木の棒と包装袋が握られていた。

それを逃さずしっかりと設備屋のおじさんは見つけたのだ。

「あ、バレましたか」

「バレてんでー」

「あれ、バレんように隠しといたつもりだったんだけどなー」

「バレバレやでー」

 

この時期の現場仕事はなかなかハードだ。

熱中症予防、事故防止の為、こまめな水分補給とこまめな休憩を取ることが日々あらゆるところでアナウンスされている。

もちろんそんなアナウンスがなくても、喉も渇くししんどいので水分も補給するし休憩もとる。

となるともちろん普段より仕事のペースは落ちる。

それは当然だし仕方のないことだ。

しかし、それに伴って工期が延びるわけでもないので、結局残業をするか、応援を呼ぶか、休みを返上して働くかしかないので労働者は歯をくいしばるしかない(現場によっては休日の作業は禁止されている)。

また働き方改革などの関係で、残業や休日出勤を控えるように厳しく言われている会社の場合、勤務中の時間の圧迫感が半端じゃないのでさらに強く歯をくいしばるしかない。

電気工事の場合、大工工事、内装工事、足場解体、美装など他業者との絡みもあるので、待たすわけにも(待ってもらえないことが多いし)いかないのでのんびりとしていられない。

だったらこの時期は労働者の体を思って全体の工期を延ばせばいいがな、と簡単に思ってしまうんだけど、支払いや、お客さんの引っ越し等の兼ね合いもあって工期に融通が効かないということも簡単に理解できるので、やはり歯をくいしばるしかない。

ということもあり僕の場合会社からの圧迫感は特にはないけど、他業者を待たせたり急かされるのは嫌だし、小まめに休憩をとりながらだと集中力も途切れ途切れになるし、だらだらと長く熱のこもった現場にいる方が長期的に見ると体にかかる負担が大きくなるように感じるし、何より早く家に帰って冷房の効いた部屋で体を休めたいので、休憩はタイトになりがちだ(しかし、当然のことだけど何人かで仕事をする場合は個人的なペースを優先するわけにはいかない)。

というわけで、業種や環境によっては、小まめな休憩を取ってというアナウンスは間違いではないけど、正解でもなさそうだ。

だいたい小まめな水分補給や小まめな休憩は、工期さえあれば(時間に余裕が生まれれば)そういったアナウンスがいちいちなくても誰もが勝手にとるだろう。

なので本当に建設現場の労働者の体を思うなら、小まめに水分補給をして、小まめな休憩をとりましょう、に加えて、小まめに工期を延ばしましょう、というアナウンスが必要になってくる。

といっても工期を延ばした事によって生ずる問題さえクリアーできればの話なので、今の所そんなことがアナウンスされることはなさそうだ。

 

 

今月の頭の方に月本さんの伴奏のお手伝いで大阪に行ってきた。

ワールド航空のお客様向けのレクチャーコンサートで数曲インストゥルメンタルの楽曲を演奏した。

Madragoaという曲を弾きながら、しっとりとしながらも爽やかな涼しさを感じられたのが思い出に残った。

本場の夜のfadoは真っ暗な中で演奏されるらしい。

真っ暗な中だと、音も鋭敏になって歌もさらに熱がこもりそうだ。

このタイプの熱ならじっくり味わいたい。

 

 

夕方仕事帰り、ホームセンターの駐車場にあるたい焼き屋でたい焼きを買って、作業車の中で食べていた。

暑い時に熱いものを食べるのは割と好きだ。

それにここのたい焼きは美味しい。

Madragoaいい曲だよなーと、先日の演奏の感触を思い出しながらたい焼きをかじっていた。

「ボゴッ」

尻尾の方を食べ終わる頃だった。

鈍い音が響いた。

と同時に、頭の中で流れていたMadragoaのメロディーがつぶれてしまった。

どうやら隣に停まった乗用車の後部座席のドアが、降車の際勢い余って僕の作業車にぶつかったようだ。

音の感じからして大したことはなさそうだったし、元々結構擦り傷なんかもあったのでまー別にいいかーと思いながらパワーウィンドウを開けた。

降りてきたのは20代の奥さんだった。

目が合うなり、「すいませんでしたー」と言ってきたので、僕は「元々結構傷があったしまーいいですよー」、と言うつもりだった。

しかし、「あ、でも大丈夫だと思いますのでー」と奥さんが続けてきたので、気持ちがつんのめって思わず閉口してしまった。

そしてそのまま奥さんはお辞儀をして、僕の前を通り過ぎてたい焼き屋の列に並びに行った。

ん。

急激に腹が立ってきた。

許してあげるつもりだったのに何故か気持ちが急激に毛羽立ってきた。

すると、運転席から夫と思われる男性がすいませんでしたと言いながら降りてこちらの方に歩いてきた。

「ぶつかりましたかねー」

「いや、ぶつかっとるがな」

「えーっと、どれですかね」

と言いながら、傷だらけの僕の車の車体を指差している。

傷がいくつかあって当てた傷が特定できないようだ。

すると今度は助手席の窓が開いた。

彼らの父親と思われるお父さんが、もう一度ぶつけたドアを開けて確かめたらと夫と思われる男性に指示をした。

ゆっくりドアを開けた先に確かな擦り傷があった。

「あ、これですねー!」

3センチくらいの白くなった擦り傷だった。

その男性は修理等のやり取りのために連絡先を教えて欲しいと言ってきたけど、前述した通り元々傷だらけだったし、許すつもりだったので断った。

加えてお父さんも、いくらか払いましょうかと申し出てきたけど、それも断った。

それでこの件は終わり。

のはずだった。

なのになぜだ。

なぜ怒りがおさまらないのだ。

初めから許してあげるつもりだったし、許してあげたんだけどなぜか腹が立って仕方がない。

腹が立つということは許せてないんだろうな。

じゃあいったいなにが許せてないんだ。

残りのたい焼きを歯ではなく、怒りで噛みしめる。

夫と思われる男性も丁寧に謝ってくれたし、お父さんもお詫びをしようとしてくれた。

こんくらいの傷、本当にどうでもいい。

きっと風が強かったし思わずドアが大きく開いてしまったんだろう。

理由もわかるし、本当に大したことのないことだ。

だけど怒りがおさまらない。

大したことないことないのに腹が立っている小さい自分にも腹が立つ。

仕事の時に飲んでいたぬるくなったアクエリアスの残りでたい焼きを流し込む。

視線の先にはたい焼き屋に並んでいる奥さんの後ろ姿。

引っかかるのはあの奥さんだ。

「あ、でも、大丈夫だと思いますのでー」

と言ったあの言葉だ。

確かにあの奥さんの言う通り、傷だらけでオンボロの作業車だしこれくらいの傷は全然気にならないし大丈夫だ。

そう、大丈夫。

奥さんの言う通り大丈夫だ。

間違ってない。

お会計を済ませ、たい焼きの入った紙袋を手に提げ奥さんは隣の車に乗り込んだ。

そして乗車した人たち全員がこちらにお辞儀をして去っていった。

その車が見えなくなってから僕はぶつけられた傷をしっかりと見るため車を降りた。

確かに新しく白いこすり傷がついている。

設備屋さんの歯の白さを思いだした。

と言うか、思ったより目立つ傷だがな。

傷に指先で触れてみる。

擦ったところで消えるわけでもないのに擦ってみる。

この傷が大丈夫かどうかを判断するのは、ぶつけた奥さんの方じゃなく、ぶつけられた方の僕じゃないのか。

というところに引っかかって僕は気持ちがつんのめってしまったことを、再認識した。

 

家に帰って、妻に車のドアをぶつけられた話をすると、そこのたい焼きが食べたかったと言われた。

 

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2019年7月28日 (日)

塀の裏で僕は汗をかいて働いていただけさ

「あのおばさん借金まみれで駆け落ちなんだけん」

「えっ、うそ!

なかなかすごい人生送ってるなー」

「だけん毎日忙しくて睡眠時間3時間くらいなんだってー」

「はー、すっごいなー。

いろんな人生があるなー。

見かけによらず、すごい人生を送ってるもんだなー」

 

とあるホームセンターのレジ店員のおばさんが僕の奥さんの知り合いで、会計の時に声をかけられたので、店を出てからそのおばさんについて奥さんが話してくれた。

 

「でもあのおばさん結構な年だよなー。

何歳の時に駆け落ちしただー?」

「はー?

何言っとるだー。

駆け落ちなんかしてないよ」

「えっ、さっき借金まみれで駆け落ちって言っとったがな」

「そんなの言ってないわー。

サーティーワンと掛け持ちって言ったんだがん!」」

 

耳くそが耳の穴にズッポシ溜まっているせいか、僕は『サーティーワンと掛け持ち』を『借金まみれで駆け落ち』と聞き違えてしまったようだった。

というわけでそのおばさんは昼間ホームセンターのレジ打ち、夕方からサーティーワンで働く駆け落ちなどはしていない、家に帰ってからも家事などで日々忙しいおばさんだということだった。

最近聞き違いが多いばかりでなく、聞き違いされることも多くなった気がする。

先日コンビニのレジでおやつにビッグサンダーを購入する際、レジ袋は結構ですという意味で、「あ、そのままで」と店員さんに声をかけると、

「あ、Tマネーで」と返されたので、慌てて、「あいや、そのままで」と言うと今度は「あ、アプリで」返されたので、もうここまで来ると単なる聞き違いじゃなくて思い込みにまで発展しているなと思い、一度間をおいて「あ、レジ袋は結構ですので、そのままでお願いします」と落ち着いて伝えた。

すると店員さんはハッとして、それまで作業していた手をピタッと止め、顔を上げこちらを向いて、「とんでもない聞き違いをして、すいませんでした!」と、とんでもなく丁寧なお辞儀で返してきた。

その感じが何だかものすごい間抜けで笑けてきたので、しまいには店員さんと二人で笑ってしまった。

今回のケースは多分僕自身の滑舌の悪さの影響もあっただろうが、店員さんの思い込みの部分も強かっただろうと思われる。

笑いながら、多分僕が聞き違いをしてしまう時も、耳くそのせいにしていたけど、大体は思い込みで聞き取ってしまっていることが多いんだろうなと思った。

 

 

「傘持ってきてないのに何で降ってくるだやー!」

急に雨が降ってきて濡れてしまうのがよほど嫌だったんだろうか、夕方アパートの窓の外からどこかのおばさんの怒号がきこえてきた。

ここまで叫ばずにはいられなかった理由は、果たして雨で濡れるのが嫌だったから、だけだったんだろうか。

それだけの理由であそこまで叫ばなければいけなかったとは考えづらい。

その声で思い出したことがあった。

18歳の時に大阪で部屋探しをするために西中島南方の駅に降りた時だった。

階段の途中で、くたびれたスーツ姿のおじさんが「クソ!!アホ!!バカ!!シネー!!」と叫びながら闇雲に雨傘を振り回していたのを見かけた。

その時は何にもない空中に向かって傘を振り回しているアブナイおっさんだなーとだけ思って、冷めた目で通り過ぎただけだったけど、その振り回している傘の先には、本当は誰か具体的な存在がいたということは、今になるとよくわかる。

と同時に現在僕自身そのおじさんと同じくらいの年齢に差し掛かかり、そのおじさんをアブナイおっさんだなーと一言で片付けられるほどの若さはすでに無くなってしまったことに、ふと気づいた。

さっき窓の外で叫んでいたおばさんも、声の響きから西中島で見たおじさんと似たような怒りを含んでいたように思えたけど、違うかもしれない。

 

 

ふじわらたーつーやー♪  ふじわらたつーやー♪  ふじわらたーつーやー♪

ふじわらたーつーやー♪  ふじわらたつーやー♪  ふじわらたーつーやー♪

ふじわらたーつーやー♪  ふじわらたつーやー♪  ふじわらたーつーやー♪

ふじわらたーつーやー♪  ふじわらたつーやー♪  ふじわらたーつーやー♪…

 

現場で仕事をしている時、塀を越えて隣の家から藤原竜也のことが好きでたまらないといった感じのオリジナルソングを歌う若い女性の声が聞こえてきた。

そのストレートな声の響きと、取ってつけたような飾りっ気のない単調なメロディーに僕はすっかり骨を抜かれ、ラブソングは愛しているとか、大好きだとかいう必要はなく、ましてやその人を何かに例える必要などもなく、ただその人の名前を歌詞として歌えば十分なんだということを知った。

僕にもかつて好きな人の名前を声に出すだけで悶絶していた時期があったので、彼女の気持ちはよくわかる。

それにしても長い。

長い。

長すぎる。

彼女の歌が一向に終わらないのだ。

こうずっと、ふじわらたーつーやー♪ふじわらたーつやー♪と聞かされるとさすがに参ってくる。

もういい加減静かにしてほしい。

だけど、気持ちが爆発しすぎて歌ってないと気分が収まらないっていう気持ちもわかる。

だったらせめて違うメロディーで歌ってくれないか。

違うメロディーがないなら、さっきはああ言ったけど、せめて違う歌詞で歌ってくれ。

藤原達也を空に例えるとか海に例えるとか花とか色々とあるだろう。

もしくはバージョンを変えるとか。

というか、今仕事中だしやっぱ静かにしてくれ。

という僕の想いが彼女に伝わったのか、しばらくして歌が止んで静かになった。

ほー、良かった。

歌で気持ちを吐き出し切って、少しは落ち着いたみたいだな。

 

「ゔぁああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

「ゔぁああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」

 

と思ったら阿鼻叫喚、今度は脳天をつんざく彼女の叫び声。

おいおい、どうしたんだ。

もう仕事どころではない。

声のする方に目をやるが、そこには家と家を隔てたブロック塀があるだけだ。

 

「う〜、う〜、う〜、う〜、う〜、う〜…

う〜、う〜、ふじわらたつや〜、う〜、

ふじわらたつや〜

う〜、う〜」

 

床でのたうちまわり、泣き崩れている姿がはっきりと目に浮かぶ。

 

「う〜、う〜、う〜」

 

だんだん落ち着いてきたようだけど。

 

「誰にも渡したくないーーー!!!

ゔぁああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」

 

その後しばらくして彼女の気持ちは鎮まったのかはわからないが、静かになった。

それ以来その現場に何度か行くことがあったけど、彼女の歌声を聴くことはなくなった。

 

 

鬱陶しい季節が始まった。

相変わらず忙しない日々を繰り返している。

何かに向き合ったり何かを後回しにしたりして、なんとかケツで無理して調整して日々を乗り切っている感じだ。

そんな事とは関係なくパラダイムシフトは足音を立てずに歩き続けている。

その足の裏で静かに踏みつけられる人達がいる。

潰れた感情は雨にも流されず沈殿したままだ。

問題はすり替えられるわけも、うやむやになるわけもなく、増えていく一方だ。

多様性を受け入れる寛容さはどこまで必要なんだ。

今の僕は傘を振り回しているおっさんと、傘の先に立っていただろう人とどっちに近いんだ。

果たして彼女の歌声が藤原竜也の胸に響く日は来るのだろうか。

僕にはわからない。

とりあえずネバつきのある汗がとても不快でたまらない。

さっぱりするためにシャワーを浴びる。

風呂上がり、生乾きの臭いのするバスタオルが不快感を誘発する。

そして僕はサーティーワンのアイス、じゃなくて雪見だいふくを食べている。

 

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2019年6月25日 (火)

威張って言うほどのことじゃないですが、そのお金ならもう払いましたぜ

お昼時の吉野家はすごく混み合っていた。

僕はかろうじて空いていた小さなテーブル席に座り、鯖みそ牛定食を注文してトイレに向かった。

しまったなー、人が多いし結構待つことになりそうだなー。

そんな事を考えながら用を足して席に戻った。

あれ、思ったより早い。

しばらくすると、注文した料理が運ばれてきた。

少人数のスタッフしかいないけど、テキパキと要領よく仕事をこなしているからスムーズに流れているんだろう。

ご飯をかき込みながら、僕はスタッフの動きを見ていた。

仕事が早いだけじゃなくて、接客対応も丁寧だ。

その流れを継承してなのか、お客さんの回転もスムーズだ。

素晴らしい。

かといって、みんなせかせかしているというわけじゃなく、老夫婦に関してははゆったりと食事を楽しんでいる雰囲気もある。

強要された雰囲気が全くない。

なめらかに穏やかにスムーズだ。

これはなかなかレベルが高い。

僕はすっかりこの雰囲気を気に入ってしまった。

そして僕はこのスムーズな流れにさりげなく貢献できたらと思い、あらかじめ財布から会計金額を取り出し、レシートは結構ですとスマートに告げ、何事もなかったかのようにスムーズに会計を済ませることで僕自身ベストな一日が送れるはずだ、と作業ズボンのサイドポケットに手を入れた。

しかし、ない。

ない。

ない。

ないのだ!

あるはずの財布がないのだ!!

何でだ。

何でねーだや。

しかしここでここで慌てないのが素敵な大人のおじさんだ。

落ち着け俺。

店内を見渡し、気持ちを一旦財布から遠ざけてることにする。

うーむ、店員さん変わらず無駄のないテキパキした動きだ。

素晴らしい。

いいねー。

いい感じだ。

さて、そろそろ財布を取り出そうかな。

再びポケットの中に手を入れる。

だが、ない。

まー、あるわけないわな。

ないのはわかっているけど、ポケットを叩いてみる。

往生際が悪い性格に苦労する。

手のひらに太ももの感触が伝わる。

と同時に太ももに手のひらが当たった感触が伝わる。

ポケットは空っぽなわけだし当たり前だ。

うーむ、どうあがいても財布がないという現実は曲がってくれないようだ。

「あっ…!」

とその時、家のテーブルの上に置いてあった財布の映像が脳裏をよぎった。

そうか、朝財布を持って出るのを忘れてたんだ。

ツーっと粒の大きい汗が身体のラインを舐めるように滴り落ちる。

さて、今からこの店を出るためにはお会計をしないと出れないわけだけど、全く手元にお金がない。

で、どうすればいいんだっけ。

わからない。

40年近く生きてきたけどわからない。

入り口には入店待ちのお客さんが並んでいる。

どさくさに紛れてそのまま出て行けばいいのかな。

いや、ダメでしょうな。

新婚早々そんなことして捕まったら離婚されても仕方ないわな。

そうなったら母親は泣くわな。

俺も泣くわな。

多分兄も泣くわな。

意外とここは人生の分岐点なのかもしれない。

どこに人生の分岐点が潜んでいるのか分からないもんだな。

困ったな。

困った時は相談だ。

そうだ、とりあえず店員さんに相談しよう。

しかし、相変わらずテキパキと無駄のない動きで仕事をしているので声をかけるタイミングがない。

それでもちょっとくらい話せるタイミングがあるだろうと、店員さんの様子をそれとなく伺う。

お客さんが食べ終えた食器のお盆を両手に持っている…今じゃないな。

注文した料理を運んでいる…今じゃないな。

お会計をしている…今じゃないな。

うーむ…。

仕事が完璧すぎて全く隙が、無駄が、ないじゃないか。

それはそれで困るじゃないか…。

もうどこが負担のかからないタイミングなのか分からない。

店員さんが注文を取りに水を持って少し早歩きでお客さんのテーブルに向かっている。

今がチャンス!!

だと思う。

 

「すいません!」

スクッと立ち上がり声をかけた。

「はい」

「あの、財布を忘れてしまったんですけど、どうしたらいいですか?」

「あ…」

「ちょっと家に取りに帰ってきてもいいですか?」

「え…

少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか」

 

店員のお姉さんはそう言ってお客さんの注文を取りにいき、その後僕の不安を取り除くような声で「大丈夫ですよ」と紙切れとペンを手持ってやってきた。

その紙に念のため名前と連絡先を書くように言われ、僕は急がなくてはとペンを走らせた。

しかし、焦るとかえって手間取ってしまうものだ。

急ぐと焦るは似て非なるものだ。

0を書き損じて書き直したのが、6なのか0なのか8なのかなんなのか分からない数字になってしまったので、その部分に矢印を引っ張って、これは0ですけん、とスタッフのお姉さんに説明しながら0と記入し、大切な時間をロスしてしまった。

しかしそんなどんげなおじさんに対しても丁寧に大丈夫ですよと声をかけて頂き、恐縮し「すいません、じゃあちょっと急いで取りに帰って来ますけん」と伝え僕は入店待ちをしている行列を、対抗車線を逆走してしまった老人ドライバーのような気分で「すいません、すいません」と掻き分け掻き分け店を出た。

 

なんで、財布を忘れただーかなー。

何でだーかなー。

家までの道中独り言を呟きながら、なんでこんなことになってしまったのかをずっと考えていた。

 

 

先月25日のイベントは楽しかった。

色々な意味でスケールアップしたモヤ君のカラーリングがとても素敵なライブペイント、うつみあいちゃんの内蔵の隅々まで染み渡る歌声、APACHE君の華やかなDJ、ニューアルバムを引っ提げ一体感が増しパワーアップしたMOTORSのパフォーマンスとサプライズソング、THE COMIN'のはち切れんばかりのエネルギーで会場が満たされた夜だった。

数日前に急遽歌うことになり僕もオープニングでギターを弾いて4曲歌った。

内2曲はジュンちゃんにベース、テナーサックスと歌で由利君にも入ってもらった。

みんなで演奏するのは懐かしいというより、新鮮だった。

また一緒に演奏する日が楽しみだ。

 

「地獄見てかな〜い?」

「お化け屋敷のぞいてかな〜い?」

 

打ち上げの後、ダイゴウくん、由利君、千ちゃん、あいちゃん、僕、奥さんで通りを歩いていると、白髪のお目目ぱっちり化粧の濃いおばあさまなのかおじいさまなのか、おじいさまなのかおばあさまなのか、どちらとも言えないなんとも魅惑的な方の魅惑的な言葉につられてとある雑居ビルの二階の店に入った。

そこは70オーバーの前期高齢者のスタッフがメインのオカマスナックだった。

「お兄さんエロい顔してるわね〜。

タイプだわ〜」

とネネさんだったかベティちゃんだったかに僕はなんどもなんどもなんどもなんどもなんども言われ、普段そんな嬉しいことを言われたことがないので上機嫌になった。

みんなそれぞれカラオケを歌う。

その後サービスでこれまた何とも言えぬ魅惑のショウを見せて頂く。

何だかものすごく楽しかった。

という印象は残っているけど、ショウの内容は酔っ払ってあまり覚えていないので近々また見にいこうと思う。

久しぶりに遅くまで楽しいお酒を飲んだ。

 

イベント翌日はモヤくん夫婦とあいちゃんと、境港観光をした。

色々な話をしながらのドライブや鬼太郎ロードは楽しかった。

モヤくんはこの後バンコクで仕事だったり、あいちゃんもフィリピンへと、これからの活動の話をしてくれた。

夜はケイ君夫婦とあいちゃんと僕ら夫婦でホルモン焼き屋さんで楽しんだ。

みんな来てくれてありがとう。

 

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そして今回イベントを開催するにあたって色々な人にお世話になりました。

準備の段階では、色々とラフズの店長藤原さんには丁寧に相談にのっていただき大変お世話になりました。

フライヤー制作に関しては本当にMOTORSのあっちゃんに骨を折って、これまた大変お世話になりました。

フライヤー配りはイベントへのモチベーションが上がって楽しかった(松江方面に同行していただいた奥田さんありがとうございました)。

タカシがモヤくんのライブペイント用に精度の高い土台を作ってくれて、大助かりだった(ほんとに忙しい中ありがとう)。

みんなの気遣いが行き渡っていて、イベント自体もスムーズに流れて無駄な心配もなかった。

歳をとってから、こういうイベントをするのは思った以上に楽しいということを知った。

と同時に至らぬ点、足りないことも色々と痛感した。

バッチを買ってくれた方ありがとう(もっと売れると思ってたんだけどな!)。

見に来てくれた皆さん本当にありがとうございました。

 

このイベントを企画してから本番が迫るにつれ、いつもの日常生活に亀裂が入りそこから違和感(のようなもの)が少しずつ込んできたのを感じた。

それはどこか懐かしい感覚だった。

違和感が入り込んだ事で眠っていた細胞が目を覚まして、日常生活に張りと潤いが出て来たんだろう。

こういうのはいいなと思った。

しかしこの違和感は思った以上に僕の日常に浸水していたようで、気がつけばパンツまでビショビショだった。

だから僕は、財布も持たずに呑気に牛丼屋で飯を食べてしまったんだろう。

 

しかしそれでもいいことがあった、と日が経ち気づくことがあった。

上手だったり、下手くそだったり、スムーズだったり、ぎこちなかったり、感動的だったり、拍子抜けしたり、ウマがあったり合わなかったり、肌が合ったり合わなかったり、期待通りだったり、期待通りじゃなかった、としても、恋をしたらその気持ちを大切な人に伝えるんだよ、というシンプルな人生のテーマを思い出すことができからだ。

恋は人や物だけにするものじゃなかった。

今回伝えきれなかった想いはまた伝えよう。

また懲りずに歌っていこう。

腹筋ローラーを買ったし腹筋ローラーも頑張ろう。

そしてまずは吉野家の店員さんにお金を払って、すいませんでしたと伝えるところから始めよう。

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photo by Nobuya Fuke

 

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«はい!っていうわけでございまして!